【70】合意形成とは- 『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』を書いたわけ

本を出したばかりなので、宣伝も兼ねてその話をさせていただこう。本の名前は『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』。岩波新書から出した。

 

僕の学問的な「専門」は、環境社会学というもので、環境について、あるいは環境問題について、社会的な側面から考える、とくにそこに生活している人びとの視点から考える、というものだ。そうした視点はとても大事だと考えているのだが、世の中で「環境社会学」の存在を知っている人は少ない。知ってほしい、という思いからこの本を書いた。

二〇年前に札幌に来たころ(ああ、もう二〇年になるんだなあ)、北海道のことが知りたかったということもあるし、少しは教育に燃えていたということもあって、学生たちと一緒に北海道の環境保全活動について調査を始めた。自分でもさっぽろ自由学校「遊」から派生した「ときわ里山倶楽部」という南区での里山保全活動に参加した。

 

いろいろ見聞きしていると、環境保全活動の内部でいろいろな対立というかコンフリクトがあることが見えてきた。対立は悲しいことだが、人間だからしかたないこともある。それに対立から見えてくることも多いのだ。

 

コンフリクトの原因はいろいろあるが、その一つは、自然をどう見るか、ということだった。人間の手のつかない自然というものを理想と考えるかどうか。

 

当時南太平洋のソロモン諸島で熱帯林の村の調査もしていたから、ソロモン諸島という現場と北海道という現場とを重ね合わせながら、自然って何だろう、人と自然の関係はどういうものが望ましいのだろうか、あるいはそのことをめぐってどういう社会のしくみが望ましいのか、といったことを考えるようになった。

 

そんなことを、同様のフィールドワークを行っている研究仲間たちとも一緒に考え、そうやって二〇年くらいたって、ようやく、いくらか自信をもって言えることをコンパクトにまとめたのが、この『人びとの自然再生』だ。

 

この本では、問題の「解き方」として、僕は「合意形成」を軸に置くことにした。というか、「合意形成」を軸に置くしかなかった。自然がどうあるべきかは簡単に答えがあるわけではない。だからいろいろな歴史的背景、さまざまな価値観の人たちがどう合意していくか、が鍵となる。しかし、「合意形成」は、ただ集まって話し合って「合意」すればよいというものではない。そこが難しいところだ。そのことも多くの現場から学んだ。そもそも「合意」って何なのか、「合意形成」はどうすればよいのか、をわりあい徹底的に考えた。その結果をこの本では、「合意形成とは、納得や信頼を軸とした多面的なプロセスの束である」と表現し、そしてその柱に「聞く」という行為を置くことを提唱した。「聞くこと自体が共同認識の構築であり、新しい物語の創造であり、そして合意形成のプロセスである」と僕は書いた。

 

新書という形にして、多くの方に読んでもらい、こうしたことについて議論したいと考えた。これは、これからの社会を考えることでもあるからだ。というわけで、ぜひご一読を。