【77】フェロー諸島の伝統捕鯨

 人類が最近になって住むようになった島というものがある。ハワイが紀元三〇〇年ごろ、イースター島が紀元一二〇〇年ごろ。そして、北大西洋の海にぽつんと浮かぶフェロー諸島が紀元四~六世紀ごろだと言われている。フェロー諸島は、イギリスとアイスランドのちょうど中間くらいに位置する。

 今年七月、そのフェロー諸島に降りたって、レンタカーを借りて島を走った僕は、木がまったくなく、ごつごつした、山がちで壮大な景観にまず感嘆した。

 フェロー諸島に移り住んだ人間たちは、氷河が形成したこの厳しい地形の中で、魚資源、鳥資源の利用、そして、羊飼いをうまく組み合わせた生活を作り上げてきた。二〇世紀に入るころから、商業漁業が盛んになった。現在も経済の中心は漁業で、サバやタラを獲り、輸出する。

 そんなフェロー諸島で、僕がいちばん感嘆したのが、伝統的な捕鯨だった。

 滞在中のある日、泊まっていた村の浜に、多くの人が集まり始めていた。沖の方には、小さなボートが数十隻、船団を組んだように集まっている。

 僕は、集まっている人の一人に聞いて、それが捕鯨だということを知り、驚いた。「クジラの群れを見つけた人が皆に連絡をし、みんなで協力しあいながらクジラを追い込んでいくんだ」。その追い込み先が、たまたま宿泊場所の村だったのだ。船団は、無線で連絡を取り合いながら、ごく自然な形で役割分担して、全体としてクジラの群れを徐々に浜に追い込んでいく。

 そして、いよいよ浜に近くなると、合図とともに、陸で待機していた人びとが一気に海に駆け入り、クジラを捕獲する。体長五メートルほどのコビレゴンドウクジラだ。

 みんなでクジラを浜近くまで引き揚げて屠殺。さらにロープでくくって、それをまたみんなで引っ張って、ロープを船にしばりつける。そして、船は数頭ずつのクジラを曳航する。多くの人びとが、役割分担しながら共同で作業を行なっている。一つ一つの作業に自然に人が集まって、それが終わると、また次の作業に自然に人が集まり、作業が進む。女性や少年たちも参加している。大勢で連携作業が進むその姿は、なんだか感動ものだった。

 その日は二百頭という大漁だった。政府統計によると、フェロー諸島全体で獲るクジラは年平均で約六百頭だから、この日は本当に大漁だったのだ。そして、捕鯨自体が年間十回行われるかどうかくらいだから、僕が捕鯨を見られたのは本当にラッキーだったのだ。

 とれたクジラの肉は、島の中で公正な形で分配される。船を出した人、浜で捕獲に参加した人は、現場に来ていた警察官の前にずらりと並び、名前を登録していく。彼らにまず分配され、残りは、クジラの群れの大きさにもよるが、ほぼ島中の世帯に分配されるという。分配のシステムは、古くから確立されている。

 人口五万人のフェロー諸島が今日世界的に注目されているのは、デンマーク領でありながら、強い自治権を持ち、独立の機運もあること、そして、経済的にもかなり自立しており、若い人たちも多くが戻ってきてフェロー諸島を盛り上げていることだ。

 僕はこの日、そうした自治・自立の背景に、捕鯨の共同の営みがあることを知ったのだった。捕鯨という活動、そしてその分配が、島の人びとを結びつける重要なイベントになっていて、そこにフェロー諸島の強さの源があるように僕には感じられた。