【2】僕は葦を考える人間である

石狩川でヤツメウナギを捕りつづけている漁師さんの話を聞きに行ったことが、ことの始まりだった。一昨年のある日、地元の人でも気がつかないような、ひっそりした建物の江別漁業協同組合で僕らは話を聞いた。僕らの関心をひいたのは、カヤドウと呼ばれるヤツメウナギ漁の漁具だった。大人の高さくらいあるカヤドウは、文字通りカヤ(ヨシ)からできている。宮城県の産地からヨシを入れて、漁師さん自身が編む。

 調べると、すぐわかった。宮城県の産地というのはたぶん北上川の河口地域で、そこには、マスメディアにもたびたび登場する熊谷産業というヨシ(葦)業者がある。石狩川と北上川という、遠く離れた2つの川が、漁具で結ばれているなんていい話じゃないか。この熊谷産業に連絡をとってみよう。
 という話を、かつお節の調査を一緒にやってきた仲間にしたら、その一人が、「あれ、それはクマさんのことじゃないの?」。聞けば、彼がフィリピンに青年海外協力隊に行っていたころの協力隊仲間だという。

 協力隊出身の熊谷秋雄さんは、フィリピンで地域のさまざまな資源が有効利用されている姿を見、自分の地元にはヨシがあるじゃないか、と気がついた。父親がやっていたヨシ業者を発展させる形で「熊谷産業」を設立し、単にヨシを刈って売るというこれまでの仕事の枠を超え、屋根職人を育成して、ヨシの総合産業としてやっていこう、と始めた(コミュニティ・ビジネスですね、まさに)。熊谷さんがヨシを再び積極的に利用するようになってから北上川河口部のヨシ原は再生し、その景観は、全国的にも知られるようになった(ヨシは人間がちゃんと毎年刈り取ったり火入れをしたりしないと、“荒れて”しまうのです)。

 と、ここまでは、メディアに出てくる熊谷産業ストーリー。僕らはもちろんそのストーリーにも関心を持ったが、「そんなのホンマかいな」、「もっと地域の人々にとってのヨシ原の意味を知りたい」、といった関心をもって、宮城県に飛んだ。昨年の2月だった。

 「石狩川の漁にここのヨシが使われていると聞いた」という僕らに、熊谷さんは、「え、それは知らないなあ。それにそれはヨシじゃなくてオギだと思いますよ」。え、オギ? 僕らは熊谷さんのお父さんに連れられて、河岸に広がるヨシ原に立った。「ほれ、これがヨシ、これがオギ」。遠目にはほぼ同じに見えるヨシとオギは、説明を聞くと、なるほど微妙に違う。少し固いオギの方が漁具に向いているということだ。

 僕らは、その後、何度か現地を訪れ、熊谷さんのお父さんのアレンジのもと、地域の人たちから、人と自然の関係について、聞き取りを続けていくことになった。ヨシの調査のはずが、炭焼きの話、今はなき湿原の話、戦後開拓の話、出稼ぎの話、と広がっていった。

 地域を知る、また、自然について考えるとは、そういうゆっくりした作業のことだ、と僕は思っている。


さっぽろ自由学校「遊」『ゆうひろば』89号(2005年6月号)