自転車:中途半端を生き抜く

自転車通勤を始めると、何だか子どものころのことが思い出されてきた。


田舎育ちの僕は、友人たちと自転車で遠出することが多かった。「遠出」って言ったって、今車で走ったらすぐのところだ。田んぼの中の農道を走ると、夏は、向こうから虫の大群がやってくる。眼の中に入って、自転車のハンドル操作が危うくなる。そんな感覚がよみがえってきた。


しかし自転車に乗って考えるのは、幼少時代のことばかりではない。自転車が今の都市社会で置かれている位置みたいなものについても考えざるをえない。

要は、微妙な位置に置かれているということだ。


法律では自転車は「車両」になるので、原則車道を走らなければならない。しかし、もちろん、車がびゅんびゅん飛ばしている車道の脇を走るのは難しいし、路上駐車している車があるものならまず無理だ。というわけで、道交法にも例外規定的に、以下のように記されている。


道路交通法第六十三条の四

 普通自転車は、第十七条第一項の規定にかかわらず、道路標識等により通行することができることとされている歩道を通行することができる。

2 前項の場合において、普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分)を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない。



しかし、歩道もまた、自転車用にはできていない。上の法律でも「徐行」せよ、とある。自転車は、今の道路の体系では、実に中途半端な存在なのだ。実際、走っていても、歩道を走ったり、車道を走ったりと、やはり中途半端にならざるをえない。

自転車で走っていると、“仲間”によく出会う。私が職場までの最短距離だと考えた道は、自転車で通勤・通学している人たちにはおなじみの道らしく、そうした自転車によく出会う。みんな、中途半端な扱いに慣れていて、車道や歩道を行き来しながら、うまいぐあいに、すいすい走っている。中途半端を生き抜いているのである。あっぱれ。