かんじは ほんとうに ひつようか

しょうがっこう 3ねんせいの むすめが かんじに くるしんでいる。みたことないような かんじを はつめいして、かいてみせてくれると、おやの ぼくは、にがわらいを せざるをえない。


かんじは やっかいだ。テレビばんぐみで かんじの むずかしいよみを あてる クイズをやっていたが(たとえば 「強か」とかいて なんとよむか。こたえは 「したたか」)、ほぼだれも せいかいできなかった。


しょうがくせいも ちゅうがくせいも ぼうだいな かんじを おぼえなければならないし、そのために おおくの じかんと ろうりょくが ついやされる。これは はたして しゃかいてきコストとして だとうな はんいだろうか。かんじが よめる よめない、で 「がくりょく」が はかられる というのも、なんだか マッチポンプのような きがする。


そもそも かんじは ちゅうごくから きたもので、まあ、かりものの もじとして つかわれるように なったものだ。そのご ひらがな・カタカナが はつめいされ、げんじものがたりは すべて ひらがなで かかれた。


かんじは いらないのではないか。ぼくは まえから そう かんがえている。しかし、あまり さんどうは えられない。どうおんいぎの ことばなど どうするんだ という はんろんが ある。しかし、どうおんいぎごは、はなしことばでも わかりにくい。べつの ことばで ひょうげんできるなら、したほうが よい。これまでの かんじによる ぶんかいさんを どうするんだ、という はんろんも あるだろう。これは やっかいな もんだいだ。しかし、かんこくでは すでに かんじを つかわない ほうこうである。ベトナムも ずっと いぜんに かんじを ほうきした。かんじがなくて かなばかりの ぶんしょうだと よみにくくて しょうがない という はんろんも ある。これは いいかえしやすい。よみにくいのは ただ なれていないだけであり、このぶんのように わかちがきをすれば、そのうち なれる。よめないかんじ や むずかしい かんごが ある ぶんしょうより ずっと よみやすい。アルファベットを つかっている ちいきの ひとびとは、アルファベットを ひとつひとつ ゆっくり よんでいるのではない。たんごを まとまりとして えのように にんしきして、よんでいる。それと おなじことが、ひらがなだけの ぶんでも できる。


そういえば、いま、「いいかえしやすい」と かいたところは さいしょ 「はんばく(反駁)」と かこうとして、それでは ひらがなでは わかりにくいと かんがえ、「いいかえす」という ことばに いいかえた。このように ひらがながきに することで、より わかりやすい しかし ゆたかな やまとことばちゅうしんの ぶんしょうを つくるきっかけに なる。


ひらがな で ぶんを かこう、といううんどうは、せんご すこし もりあがったことが ある。しかし さいきんは まったく きかない。ぎろんぐらい あっても よいのではないか。