ススキと企業モデル

岩手県に2日間の調査に出かけた。


NPO法人「岩手で茅葺き技術の伝承を促進する委員会」(以下、茅葺き委員会)によるカヤ(ススキ)場作りの取り組みを調査するのが目的だった。


僕は大学院生たちと、北上川河口地域(宮城県石巻市北上町)のヨシ原調査を続けているのだが、その過程で、ススキにも目が行きはじめた。ススキという半自然=半栽培の植物に、これまで人がどうかかわってきたか、そして今どういうかかわりがあるか、を考える材料として、上記「茅葺き委員会」の取り組みが参考になりそうだったのだ。8月の北上川河口地域調査で、この「茅葺き委員会」の取り組みにかかわるヨシ・カヤ業者のスズキ産業を訪れたのも、岩手に出かけようと思ったきっかけだった。


岩手大学の山本信次さん(森林政策学)のアレンジで、「茅葺き委員会」の代表・吉岡裕さん(82歳)、副代表・戸田忠祐さん(元農業大学校教員)(77歳)を、吉岡さんの茅葺き屋根の家にたずねた。


吉岡さんは、茅葺き文化を残したいという思いを実現するために、さまざまなことをしかけてきた。茅葺き職人のビデオをとり、仲間を増やしていく。技術的な面が担当できる戸田さんを仲間に引き入れ、カヤ場(ススキ原)を発掘・開発する。さらに、茅葺きの棟梁の協力を得て、茅葺き職人養成事業を行う。カヤ場をつくり、カヤを刈り、売り、使い、屋根を作るまでの全体的なしくみづくりを、一歩一歩進めてきたというわけだ。


「こういうのは、行政の事業としてやったのではだめなのです」と、自身役人出身の吉岡さんは言う。「カヤ(ススキ)の生産から屋根葺きまでの企業モデルを作りたかった」。助成団体や行政から金を引き出しながら、この試みに、いくつかのアクター(担い手)を参画させていった。カヤ場作りとカヤ刈りは、現在、岩手県の金ヶ崎町で、町の3セク「金ケ崎町産業開発公社」が担うことになり、職人作りは県および町の事業として行うことになった(「茅葺き委員会」が事業受託)。


カヤ場作りは、牧場跡の荒れ地を使うことになった。技術担当の戸田さんは、機械を積極的に使いながら、カヤ場が広がる方途を模索する。途上にある金ヶ崎町のカヤ場は、しかし、すでにすぐれた景観(写真)を形成していた。


モデルはできあがった。吉岡さんのビジョンの確かさの勝利だ。茅葺きの家の中で、理路整然と語る82歳の吉岡さんに、僕らは昔の良質のインテリを見た思いがした。