【7】ソロモン諸島:出会うこと

最初にソロモン諸島を訪れたのは1992年。ほとんど何のつてもなかった。唯一つながりのあった地元NGOに手紙を出しておいたが、返事はなかった。それでも行ってみよう、と、妻と二人で出かけた。


「なぜソロモン諸島だったのですか?」とよく聞かれる。僕は大学院生時代に、東京で反核パシフィックセンター東京という、オセアニアの人びとと「反核」でつながろうというグループ(宇井純さんが始めた「自主講座」の一つのグループ)で活動していたから、それが一つのきっかけになっている。でも、たぶんそれよりも、「世界の“ど田舎”に行きたい!」という思いの方が強かった。「世界」を考えるときに、先進国の大都会から考えるのもいいが、僕は世界の“ど田舎”から考えたかった。世界の“ど田舎”から世界を見ると、どう見えるのか?――


そうやって、ソロモン諸島に通い始めたころ、とまどったことの一つは、キリスト教だった。ソロモン諸島の人の多くは、熱心なキリスト教徒だ。というよりも、熱心なキリスト教徒としてのふるまいが、生活の一部として染みついている。最初僕はそれに少し合わせようともしたが、やはりそれは無理だった。いつもお世話になっていたエリファウおじいちゃん(日本に来たエディさんのお父さん。先月号で登場したエリファウさんとは別人)は、あるとき、僕の枕元にキリスト教入門書みたいなものをそれとなく置いてくれた。僕は少し読んだふりをしてそれを返すしかなかった。


そのエリファウおじいちゃんは、僕が病気になると、祈祷師みたく、いろいろなお祈りをしてくれた。僕はもちろんそのお祈りの“呪文”が何を意味しているのか分からなかったが、おじいちゃんがそこにいてくれて、僕のために祈ってくれているということが、うれしかったし、力にもなった。


エリファウおじいちゃんは、2002年5月に亡くなった。おじいちゃんの生年は不明だが、おそらく70歳台後半だった。おじいちゃんが若いころ、ソロモン諸島では、マアシナ・ルールという、イギリス植民地支配からの自立を目指す運動が盛んになり、おじいちゃんもそれに加わった(当時の若者たちの多くが加わったのだ)。弾圧されて、監獄に2ヶ月入っていた。それよりもっと若かったころ(エリファウおじいちゃんの言い方だと「まだキリスト教に改宗する前」)、ある女性を奪い合って別の若者たちとけんかして、いっしょに監獄に入れられたこともあったから、監獄は2度目だった。


さまざまな人生を送ってきた最後の10年に突如現れたのが僕だったというわけだ。日本からの闖入者とエリファウおじいちゃんがこういう形でつながったのにどんな意味があったかはよくわからない。しかし、それは楽しい出会いだったし、意味のある出会いだったと思う。