【9】語り継ぐこと

正月を郷里で過ごした。愛媛県松山市のはずれ、旧小野村地区というのが、僕の生まれ故郷だ。近郊農村だったこの地も、今や松山市のベッドタウンと化し、大規模なショッピングセンターもできている。


1930(昭和5)年生まれの父と、1996年生まれの娘と一緒に、このふるさとを散歩した。僕は娘に「田舎」を説明する。田んぼを歩きながら「以前はこの時期にレンゲを植えてたんだよ」とか、田んぼの中の小さな祠(ほこら)を指して「ほら、田んぼの中にも小さな神様がいるんだよ」とか、溜め池の縁を歩きながら「これは自然の湖じゃないんだ。田んぼに水を引くために昔の人が作ったんだよ」、とか、何だか「教育的な」説明になる。父の話はもっと実体験にもとづく。溜め池の横で、父は孫に「おじいちゃんはこの溜め池で泳ぎをおぼえたんだ。あそこから向こうのところまでよく泳いだもんだ」と語る。


父は、僕と娘を、「宮内家」のもともとの墓の場所に連れて行く。高台の墓地から眺める旧小野村地区は、ちょっとした棚田になっていて、なかなかの景観だ。墓地近くの溜め池も、カモなどの水鳥が多数いて、ひょっとするとラムサール条約だって可能かもしれない(とやっぱり「環境保全」的な見方になってしまう)。「ところで、この墓地の土地って誰のもの?」と父親に聞くと、「さあ、たぶん部落が所有しているんだと思うがなあ」。僕は「それはおもしろそうだ」と調査してみたい気分になってきた。父によると「お墓委員会」というのも地区にあるらしい。田舎はいろいろおもしろい。


別の機会に父に聞いた話。「昔は田んぼのあぜに豆を植えていて、あぜ豆って呼んでいた。以前はそれが結構もうかった、米よりもうかったこともあるって、そう、親父がよく言ってたなあ」。父はその父親(僕のおじいちゃんだ)からの話を、なつかしそうに話す。


こういう光景は、各地の調査でもよく出会ってきた。日本でも、沖縄でも、ソロモン諸島でも、「そういえば親父がそういうことをよく言っていたなあ」という語りに、僕はよく出くわしてきた。


そうやって、地域の歴史は語り継がれてきた。僕は娘に何をどう伝えていけばよいのだろう。