新しああ、チェルノブイリから20年

この4月26日で、チェルノブイリ原発事故からちょうど20年が経った。


僕はあの日、夕刊でチェルノブイリ事故のことを知り、愕然とした。まだどの規模の事故かその時点では不明な点が多かったが、人類が経験したことのない原発事故であることだけは確かだった。


「殺される」と僕は思った。このまま原発を放置しておけば、殺される、と僕は危機感をもった。


それから3~4年間だったか、僕は反原発運動に生活のかなりの時間を費やした。幸い僕は「反核パシフィックセンター東京」という市民グループのメンバーだったので、そこを拠点にして運動にコミットすることができた。大学院生だった20代の僕は、お金はなかったが、時間はあった。


いろいろやった。当時の僕は、とにかく多くの普通の人が、この運動に参加する、その枠組みを作ることに力を費やした。「電気をこんなに使っているのだから原発に反対してもしようがない」という雰囲気が世間には強かったから(今も強い)、「原発がなくても電気は十分まかなえる」ということをわかりやすく伝えることにも力を注いだ。


たくさんの運動仲間ができた。日本の市民運動の中でも、あのころの東京の反原発運動は、かなり画期的なことをいろいろやったと思う。僕も実にいろいろなことをそこで学んだ。


しかし、原発はなくならなかった。もちろん、計画がストップした原発も少なくないが、趨勢として脱原発になるまでには至らなかった。僕もいつの間にやら反原発運動から退いた。


何とか再び原発を政治的な争点に持ってこられないか。