【11】洪水を楽しむ

「バケツをひっくり返したような」という形容は、誇張ではない。僕がソロモン諸島マライタ島で出会った雨は、空の底が抜けたかのような雨だった。怖い、と思った。降りつづけた雨は、川をあふれさせ、僕らがいつも使っている道はすっかり川の中にのみこまれてしまった。


そんな中、ジェヒエル・メテさん(60歳)は“出動”した。カヌーを漕いで、川の真ん中へ向かった。子供たちも騒ぎ始めた。恐怖の声ではない。歓喜の声だ――。


メテさんは、流れてきた大木に追いつき、カヌーから乗り移った。そして、勢いよく川が流れる中、その流木を岸へ誘導した。


メテさんの娘たちも、別の流木めがけて出動する。岸にいる僕らはやんやの喝采を送る。


流木は、貴重な薪材である。メテさんの村の近くの森は、薪用になるような木が少なくなり、いつもなら、薪を求めて遠くの森まで歩いていかなければならない。それが今日は向こうからやってきてくれているのだ。千載一遇のチャンス、とメテさんたちは木をつかまえようとする。


隣の家のディナさんは、「メテはもう年寄りなのにすごい」と素直に感嘆し、「自分にはあそこまでできない」と言いつつ、ちゃっかり岸に打ち上げられた小枝を拾い集めた。メテさんが勇猛につかまえた流木に結局のところ匹敵するくらい量の小枝を集めてきていたから、ディナさんもなかなかすごいのである。


日本では、洪水は完全にシャットアウトすべきものとして、ダム工事やら堤防工事やらの治水事業が国家の手によって行われてきた。しかし、洪水は本当にすべてダメなのかこのあたりについて、僕は、大熊孝『洪水と治水の河川史』に多くを学んだ)。


マライタ島の人たちは、洪水を楽しんでいた。洪水を楽しみ、水害を軽減し、できればそこからちゃっかり利益も得るような、そんな川とのつきあい方を、日本でもできないだろうか。