弓削達さんと木村尚三郎さんの訃報

今朝の新聞に、弓削達さんと木村尚三郎さんの訃報が並んで掲載されていた。実際のご逝去は、弓削さんが14日、木村さんが17日だが、なぜか今日の新聞に並ぶ形になった。


僕はこの2人に東京大学の教養学部時代に出会っている。2人とも西洋史が専門。しかし、その姿勢は非常に対照的だった。木村氏は、当時すでに政府の審議委員などをたくさんやっていて、保守派の文化人として活躍していた。弓削さんは、反体制の歴史学者としての姿勢を貫いていた。


弓削さんのゼミというものに僕は大学1年のときだったか2年のときだったか出た。ローマ史の英文を読んで、議論し、弓削さんがいろいろ話す、というゼミだった。英語はたいへんだったが、大学で勉強するということのおもしろさを教えてもらった記憶がある。コンパの時だったか、弓削さんが、自分が東大に来た経緯を話してくれた。東京教育大学が筑波大学として筑波に移転するのに反対して辞職し、そこを東大が拾ってくれた、という話だった(この資料が、「東京教育大学新聞会OB会」のページにあることを知った。その中に、弓削さんの当時の発言http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/sinsei.htmもある)。


その後、弓削さんはフェリス女学院の学長になり、大嘗祭に反対する声明を出すなどした。僕は遠くから、弓削さんの行動を敬意をもって見ていた。


一方の木村氏。福井にいるとき、県が主催して、原発反対の研究者と賛成の研究者が一堂に会したシンポジウムがあり、そのとき、木村尚三郎氏は、基調講演を行った。およそ中身のない話で、僕が連れて行った学生は「あの人何なんですか?」と首をひねっていた。保守派の文化人としてさまざまな「要職」につき、発言力も大きかった木村氏だが、何がしたかったのか僕にはよく分からなかった。


一時職場を同じくして、対照的な人生だった2人が、仲良く並んで訃報欄に出たというのも、皮肉な話だ。


お二人のご冥福をお祈りします。