【14】戦後開拓の記録

宮城県北上町(昨年石巻市に合併)の人々の話を聞き始めて三年。地域の人々と自然環境との関係を追いかけた僕らの調査(大学院生たちとの共同調査)は、そのテープ起こしのノートだけでもかなりの分量になってきた。いくらか地元にお返しがしたいと、聞き書きの冊子づくりを考えた。人々に聞いた大量の話の中から、いくつかのテーマをピックアップして、聞き書きとして載せるというものだ。地域の人たちに読んでもらえるよう、読みやすいものをと考えている(模範になったのは、茨城県の里山保全にかかわる市民グループが作った『聞き書き 里山の暮らし ~土浦市宍塚~』という本だった)。


炭焼きに従事していた人の話、ヨシ(葦)の仕事にたずわった人の話などが並ぶ中で、一人、「戦後開拓」の話を語ってもらった人がいる。戦後すぐ、日本政府は、植民地からの帰還者や復員兵の仕事作り、食力増産などを目指して、日本各地の未開拓の土地を開拓する、という大きな政策をかかげた。北上町の武山武志さんは、昭和二三年、そうした政策の中で、地元の奥山へ開拓に入った。当時中国から復員してきた武山さんは、役場に入ってこの開拓の旗振り役をしていたのだが、自らが開拓に入ることになったのである。「国の命令だったのね。その第一線に出たんです。あまりに真面目だったのです。自分で開発計画を立てたからね、自分で行かなければということになって」。


開拓に入った武山さんは、雑木林を焼き、畑を作り、のち養蚕や畜産、それに苗木作りなどを組み合わせて、生活を成り立たせていった。以来、政府の政策転換によって山を下りるまでのまで十二年間、山奥での厳しい開拓生活を武山さんは送った。


僕は、この武山さんの体験も冊子に載せようと、短い聞き書きにまとめた。武山さんは、その僕のまとめを見て、十分に自分の体験が書かれていないと思ったのだろう、自ら、B5版十三ページに小さな文字でぎっしりとその体験を書いて僕に見せてくれた。もともと、町史の編纂委員にもなった地域の文化人である。しかし、自分のその体験については文章化してなかった。「開拓の記録はいつかしておかなくては、と思っていたのですが、どうすればいいか分からなかったので。センセイの作ったのを見て、こうすればいいのかと思い、自分で書いてみました」。


武山さんが自分で開拓経験を書いたことを僕はとてもうれしく思った。そんなきっかけを作ることになっただけでも、調査をしてきた甲斐があった。


それにしても、日本中で行われたこの戦後開拓という壮大な実験は、まだ十分に総括されていない。実は北海道はこの戦後開拓が最も大規模に行われたところである。北海道での調査もそのうちにやらねば。誰かいっしょにやる人いませんか?