【19】開拓とイヌワシ

このコラムで何度か書いてきた、宮城県旧北上町(現石巻市北上町)での調査の話。


北上川の河口地域にあたる旧北上町で、僕らは聞き取り調査を続け、地域の人たちと自然環境とのかかわりを追いかけてきた。その成果をようやく一冊の冊子に仕上げ、この夏、お世話になった人たちに配って回った。『聞き書き 北上川河口地域の人と暮らし』と題したその百頁余りの冊子には、六人の方の聞き書きと関連する五つのコラムを載せた。川とのかかわり、湿地とのかかわり、山とのかかわり、など地域の自然と人のかかわりが多角的に浮き彫りになるよう工夫した。役場の教育委員会の方に協力いただいて、石巻市全域の学校や社会教育関係などに配布してもらうことにした。


その中にも登場していただいた武山武志さん。武山さんは、昭和二三年、日本政府による戦後開拓の政策の中で、地元の奥山へ開拓に入った。僕らはこの奥山の開拓跡地にまだ行ったことがなかったので、武山さんに冊子を渡しついでに、連れて行ってもらうことにした。


この地はイヌワシの生息地として知られる山でもある。翼を広げると二メートルにも達するこの鳥は、日本最大の猛禽類にして、絶滅危惧種である。武山さんは言う。「センセイたちの調査をきっかけに私自身も開拓の記録を記録しようと、記憶をたどって文章をまとめたんです。それが隣町の教育委員会の人の目にとまって喜ばれましてね」。なぜ? 「イヌワシなんですよ。なぜこの山にイヌワシが定着したか。開拓が大きいんじゃないかと言うんです。開拓で土地を拓き、作物を植え、それを餌にする小動物が増えましてね。それがイヌワシにとっての獲物が増えたことになり、イヌワシがここに定着したのではないかと言うんです。その開拓についてこれまで実態が分からなかったのが、私がまとめたことで分かり、イヌワシ保護のための基礎資料としても役立っているというわけです」


武山さんたちが開拓に入る前の山は、ススキが各所に広がる山だった。山沿いの集落が、自分たちで利用するために茅場としてススキを保全していたエリアだ。定期的に火入れをして、雑木が生えてこないようにしていたという。その地を利用して、武山さんたちは開拓に入った。政策変更にしたがって、武山さんたちが山から下りてきたあと、山には、大量のスギが植えられることになった。イヌワシにとって見れば、人工林だろうが天然林だろうが、森があまりうっそうとしていると、獲物を得るのが困難になる。イヌワシのためにもう一度草地を復活させようかという話も地元ではある。


僕らは武山さんに連れられて、昔武山さんの家があった場所までたどり着いた。一面の杉林である。ここが一面畑だったとは想像つきにくい。わずかに段々畑あとが地形として残っているくらいだ。それに開拓当時立てた風力発電のやぐら跡が残っている。「今ではこうやって杉ばかりになってね、沢は枯れてしまいました」と武山さん。たしかに、沢にはちょろちょろとしか水が流れていない。「開拓のころは水は豊富で、ヤマメがよく捕れたんですがね」


人がそこに住むということと自然の営み。都会に住む私たちが考えるほど単純なものではない。武山さんは、水について、イヌワシについて、自分の体験から、現状を憂える。僕らはそこからいろいろと学びたい。