ミレニアム エコシステム評価とパッシブな学問

必要があって「国連ミレニアム エコシステム評価(Millenium Ecosystem Assessment)」(邦訳は『生態系サービスと人類の将来』オーム社)を勉強した。


こういう“地球規模”の話は、ここ何年か意図的に避けてきたのだが、読んでみると、これがおもしろいし、また、感心もした。その慎重さと大胆さ。わかりやすいプレゼンテーション。生態系のことだけでなく、人間社会のことをちゃんと含めた妥当な議論。ワーディングのおもしろさ。


このミレニアム・エコシステム評価は、かのIPCCの気候変動研究と同じで、新たな研究をするのではなく、すでにある知見を集めて再評価し、妥当な線を広く社会にプレゼンする、というスタンスだ。


つまりこの報告書がよいと感じるのは、その研究や報告のしかたが、社会の中で妥当な位置を占めている、という感覚なのだ。社会から突出していない学問。


そういえば、ここ何年かの自分も、自分でこれを調べたい、研究したい、というより、回りの期待のようなものの中で研究を進めていることに気がつく。求めに応じて話したりしているうちに、自分の方向性が決まってくる、というような感じがずっとしている。


それを自律的でない、と批判するのはたやすい。しかし、僕は、むしろその方がよいのではないか、と開き直る。「パッシブ・テクノロジー」という言葉を知ったのは、高木仁三郎さんの話からだった。宇井純さんもある講演会で冗談半分に「私はタオイストの技術者です」と語っていたのを思い出す。社会に埋め込まれた学問。