意外に読まれた論文

おもしろいもので、かなり力を入れて書いたものがあまり読まれなかったり、逆に、軽く書いたものが案外読まれたりする。


意外によく読まれた自分の論文の一つに、「市民調査の可能性」という論文がある。比較的“軽く”書いたものである。


調査をめぐる日本社会学会のシンポジウム「社会調査の困難」にたまたま(ホントにたまたまだと思う)出ることになり、何を話すべきか、と考え、少し迷った末、「市民調査」について語ることにした。「市民調査」とは、市民についての調査、ではなく、市民よる調査のことである。日本社会学会のシンポジウムには、いつもかどうか知らないが、2、3ヶ月前かに事前の打ち合わせみたいなものがあり、そこで、僕の話が、他のパネリストの話とそれほど浮いていないことが分かった。


そのシンポジウムでしゃべったことを、だいたいそのまま文章化して、『社会学評論』(日本社会学会の雑誌)の特集論文として書いた。


社会学の調査についての特集に、市民による調査ということを書いても、無視されるだろうな、と思っていた。あにはからんや、反響というほどではないにしても、結構読まれることになった。思わぬところで引用されたりした。へえ、と思った。


べつだん僕の主張が注目されたとか、そういうことではない。たぶん誰もが、専門家の調査でない、市民・住民による調査について、うっすらと考えていたということだろう。それを比較的はっきりした形で僕が文章にした。社会学の雑誌に書くのだから、もちろんいくらか理論武装した形で書いた。


自分が書くものは、考えてみると、誰かによって仕掛けられて書いたものが少なくない。市民調査の論文も、そんな一つだ。書いたというより、書かされた、という表現の方がぴったりくるかもしれない。


書くという作業は、そんな役割なのかもしれない。


(論文「市民調査の可能性」→https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/53/4/53_4_566/_pdf