【25】小さな「社会」を掘り起こす

自分の仕事は小さな「社会」を掘り起こすこと、と最近思っている。


故・鶴見良行さんは、名著『ナマコの眼』で、歴史の彼方に忘れかけられた、東南アジアにおけるナマコ交易の歴史を掘り起こした。文字としてほとんど残っていないナマコの交易を、わずかな史料から、また、現場を歩くことから、明らかにしていった。香料貿易に代表されるように西洋列強は東南アジア海域の交易を手中に入れたはずだったのだが、なぜかナマコの交易については、なかなか勢力下に置くことができなかった。要は、それが地域社会の細かな網の中にあって、外からの力がなかなか入り込みにくかったということだ。大きなストーリーにだまされていると、そうした小さなストーリーが見えなくなってしまう。本当はそこにあるのに、ないことにされてしまっている。


たとえば、このコラムでも何度も取り上げている宮城県旧北上町での話。海の産物のうち、ひじきなどの磯物は、漁協の権利ではなく、各集落の自治会が権利を持っている。かつては、それが自治会の収入源になった。一方で、「旦那が病気で死んでしまったとかの人には、特例を設けて、礒物の優先権を何年間か与えていました」(漁協組合長Aさんの話)。山の産物では、かつて炭焼きが非常に盛んだった。営林署から許可された山に入り、住民たちは、誰がどこの一角の木を使うか決めていく。長く入札でやっていたが、いろいろ問題も出てきた。B集落のCさんが若くして炭焼きに参加しはじめたころ、この集落では、入札に代わってくじびきでやろうという話になった。年配者たちは反対したが、それで行くことになった。ただくじびきだと、いい木が生えているところを得た人が得をしてしまうので、「そういう場合には500円出してもらうことにしよう、とみんなで話し合って決めました」(Cさんの話)。


こうした、各集落ごとに創意工夫を重ねてきた自治の歴史、弱者への配慮。それに、よく聞くのは、遊びだったり、家ごとのかけひきだったり。


世界には、大きな歴史のストーリーから無視されている、地域社会の細かなしくみ、細かな「社会」が、たくさんある。そして、そうした小さな社会的しくみは、実は、思いのほかパワーを持っている。それが、大きな政治や社会のストーリーから無視されたがために、力を持っていないように見えているだけだ。それらの配置を換えること。それが僕らの仕事かもしれない。NGOやNPOの業界では「アドボカシー」(提言活動、権利擁護)という言い方が一般的になりつつあるが、本来のアドボカシーとは、こうした試みだろう。