【27】山村のワークショップから

日高町のある集落でワークショップを開いた。国道二七四号を日勝峠へ抜ける手前の千栄(ちさか)地区。日高山脈を後背にいただく地域でもある。


ワークショップの趣旨は、これからの地域のあり方を考えよう、そのためにまず地域にあるさまざまな資源を掘り起こそう、というものだ。日高町役場が農水省の補助事業を獲得し、僕の研究室がお手伝いをすることになった。


この千栄地区、北海道の典型的な山村で、一見すると「な~んにもない」。だだっ広い地区内の土地は、田んぼの多くが牧草地に変わっていて、空き家も目立つ。高齢化率は四三%。「衰退」とか「限界集落」という言葉が一瞬頭をよぎる。しかし――。


ワークショップは、住民のみなさんが集まり、数人ずつのグループに分かれ、僕や学生たちが話を聞き取るという形で行うことになった。みなさん、いろいろ話してくれるだろうか、と僕らは少し不安を抱いていたが、あにはからん、とってもよくしゃべる人たちであった。しかもその話に僕らはたいへん感銘を受けた。


昭和一〇年にこの地で生まれ育ったあるおばあちゃん。「九十何枚枚という小さい田んぼがありました。ひょうたん田んぼとかたんぼ田んぼとか呼んでいました。今は基盤整備で五枚くらいになりましたけどね。朝三時くらいから起きて畦(あぜ)を手刈り。刈ったあときれいに水が光るのが楽しみでねえ。代掻きをして畦塗りをすると、ぴかぴかして、ほんとうにきれいでね。今は仕事しろと言われるとつらいけど、若いときは楽しくて。三時間くらい寝たらずっと目が開いてました。田んぼだって手植えだったし。子供の起きてる顔ってほとんど見たことがなかった。あのころ元気で働けたことがなつかしい。面白かった。仕事するのが楽しみだった」


まだ二〇代の、やはりこの地で生まれ育った女性。「私らが小学生の時は、まだこの地区に小学校があって(現在は廃校)、学校挙げて千栄のよさを教えてくれました。おじいちゃん、おばあちゃんが学校へ来て、ぞうり作りを教えてくれたり、豆腐づくりを教えてくれたりしていました。だから私たちの世代は千栄のよさをわかっている。家に帰ると、近所の子を自分の妹みたいに面倒みたり、近所の家の畑仕事も手伝ったりしてました。そういうのがあるから、今でも、一人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんの家を覗いて、声をかけています」


こういう話を受けて、住民たちの間で話ははずむ。「おじいちゃん、おばあちゃんたちが何を望んでいるか、リストを作れないかなあ。栗山町でやっているような地域通貨って使えないかなあ」。


ワークショップでは、地域の人たちのこの地区への思いが本当にたくさん出てきた。


山が好きで最近この地に九州から移り住んできたある男性がいる。彼はこの地域のよさは何かと聞かれてこう答えた。「ここの魅力は人です」。僕はちょっとうれしくなった。地域資源はやっぱり「人」であり人間関係なんだなあ。