【28】生き残る地域のかつお節生産

訳あって、かつお節の調査を再開させることになった。かつお節をめぐる人、かつお節をめぐるグローバル化をさぐる調査研究だ。


二月には静岡県の西伊豆町と御前崎(おまえざき)市を訪れた。


どちらもかつてカツオ漁・かつお節の町として名を馳せた町だ。しかし、どちらも今やかつお節業者は数えるほど。それでも辛抱強くかつお節製造を続けている人たちがいる。


西伊豆町の田子地区で今でもかつお節製造を続けている人は、なんと岩手県の出身だった。Aさん(一九五六生まれ)は、集団就職が当たり前だったころ、それを避けて田子地区へ来た。ちょうど親戚の女性が嫁いで来ていたということもあるが、何より、集団就職するよりも田子でカツオ船に乗る方を選んだ。収入もよかった。そして、田子の女性と結婚する。十五年間カツオ船に乗ったあと、妻の家の家業であるかつお節製造を始める。昨年まで現役だった先代からいろいろ教えてもらい、技術を身につけた。


「かつお節」と一口に言ってもいろいろある。Aさんが作るかつお節は、最終製品に仕上がるまで五ヶ月くらいかかる本枯節というもの。伝統的な手火山(てびやま)方式という焙乾(いぶしながら乾燥させること)のしかたを二週間ほどじっくり行なったあと、カビ付けと天日干しを数ヶ月にわたって繰り返す。その技法を守りながら、自分なりの工夫も加えてきた。


Aさんと同じ田子地区のかつお節業者Bさん(一九三八生まれ)。こちらもかつお節製造を続けているが、Aさんとは若干違う路線。手火山方式に改良を加え、手火山のよさを生かしながらより大規模に製造できるような製造方法を採用している。さらにカツオを使ったかつお節以外の商品開発にも余念がない。二年くらい前からはインターネットによる販売にも力を入れ、今ではその収入も大きな割合を占めてきた。


AさんとBさんという二つの違う路線の業者はあいまって、田子のかつお節製造を支えている。戦後四十軒ほどあったかつお節製造業者は現在わずか三軒。地域を支えてきたカツオ漁は今はない。


しかし、Aさん、Bさんに見るように、かつお節製造は、工夫次第で今でも十分生き残れる。不況の影響もあまりないという。


もうひとつ訪れた御前崎では、その名も「手火山」というNPOが立ち上がっている。御前崎に生まれ育ったCさんが始めた。Cさんは、若いころ御前崎でカツオの遠洋漁業の船に乗ったあと、商社に入ってインドネシアでのかつお節製造の立ち上げの仕事をした。定年でそれをやめたあと、御前崎に戻って、NPOを立ち上げた。「手火山」に象徴される御前崎の伝統を生かしながら地域の活性化を模索する。その活動が認められて、都市農山漁村交流活性化機構理事長賞もとった。「活性化だけではないのです。地域の人が誇りを取り戻すこと。それが大事です」とCさん。


地域のかつお節、がんばれ。