こもる学問

かつお節研究をまとめなおしていて、久しぶりに“文献研究者”になっている。文献研究者はなかなか心地よい。


北海道大学の図書館はなかなかにすばらしく、たとえば、以前から明治時代のかつお節が博覧会に出品されていた記録を探していたのだが、なんのことはない、北大図書館の書庫にその記録の一つである『第二回水産博覧会審査報告』が存在していた。明治三二年発行で、発行元は農商務省。今の農水省と経産省を足したような省庁だ。これまでかつお節の博覧会出品については山本高一『鰹節考』という戦前に出されて戦後復刻された本の記述に頼っていたが、山本の記述はほぼこの『水産博覧会審査報告』の引き写しであることも判明した(とってもマニアックな話ですみません)。


北海道でも明治期かつお節を作っていたという話を北海道浦河町の人たちがまとめた『浦河百話』という本で知ったが、もっと詳しい話が『産業調査報告書』(北海道庁)、『西忠義翁徳行録』という古い資料に載っているらしい。と調べると、それらも北海道大学の図書館にちゃんとあった。


こうした古い資料を読むのはおもしろい。これを誰がどういうつもりで書いたのだろう、とか想像しながら読むのは、フィールドワークのおもしろさと同じくらいにおもしろい。


フィールドワークと違うのは、ちゃんと対話ができないことだ。「それはこういう意味ですか?」と聞くこともできない。これは、ある意味、こちらが勝手に向こうを支配できるとも言えるし、逆に、向こうの思うままでこちらが何もできないとも言える。その非対称性がなんとももどかしいが、そのもどかしさが何だか心地よい。


もうひとつの心地よさは、断片情報と断片情報をつなぎ合わせる心地よさ。断片と断片がつながることのうれしさは、こういうのをやったことある人にしかわからないかもしれない。


このことは、断片がゲットしやすくなっていることとも関連している。今いる北海道大学が文献を揃えていることもあるが、文献・資料の検索が格段に容易になっていることが大きい。たとえば今回頻繁に使っている読売新聞のデータベース(北海道大学が今年から契約を始めた)。明治以来の紙面が、検索によって瞬時に出る。断片と断片をつなげる作業が加速し、それが心地よさを生んでいるのかもしれない。


まあ、僕が意外に「こもる学問」が好きなだけか。