【29】グローバリゼーション VS  かつお節業者

鹿児島県枕崎市。かつお節生産日本一の町だ。その港に二〇〇〇トン級の運搬船が泊まっていた。パナマ船籍になっているが、船主は台湾人。


この台湾の会社は、漁船を五隻、そしてこの船を含む二隻の大型運搬船をもっている。漁船はいずれも一〇〇〇トンクラスの大型巻き網漁船。太平洋のあちらこちらでカツオをごっそり獲っている。漁船には、台湾人、中国人、フィリピン人、ベトナム人、マーシャル諸島人が乗っている。


漁船で獲れたカツオは洋上で運搬船に移され、そこから日本、バンコク、そして南太平洋のサモアへ向かい、水揚げされる。日本にはかつお節工場があり、タイとサモアとは缶詰工場がある。売る方にとって見れば、かつお節でも缶詰でもよい。少しでも高く買ってくれるところがよい。日本、バンコク、サモアの相場を見ながら、よし、この船は日本に水揚げしよう、あの船はバンコクに水揚げしよう、と決める。じじつ、もう一つの運搬船は現在バンコクだ。


船主の息子が枕崎の港に立っていた。この息子、日本人のお母さんをもち、日本の大学を出ている。「バンコクは、会社とバンコク側であらかじめ交渉して値段を決めてから入港するので商売としてはやりやすい。一方、枕崎に入れるときは入札になるので、賭けだね」


その入札が朝早く行われていた。枕崎中のかつお節業者が集まり、活気のある入札が繰り広げられる。各業者が入札額を書いた木の札を投げ、次々に買い手が決まっていく。


枕崎には現在約六〇軒のかつお節工場があり、近くのもう一つのかつお節産地、山川(指宿市山川)にも約三〇軒ほどのかつお節工場がある(この二つの町で日本のかつお節の七割を作っている)。


地元のかつお節業者をめぐる環境は厳しい。一つはかつお節の輸入が着実に増えていること。インドネシア、フィリピン、そして中国からの輸入が増えていて、二〇〇五年に初めて五〇〇〇トンの大台に乗った。国内産は約三・五万トンなのでまだ全体からすると一割強だが、これは今後も増えるだろう。


もう一つ、枕崎や山川のかつお節関係の人たちが口を揃えて嘆いていたのが、大手スーパーに価格決定権を完全に握られているということ。原料のカツオの値段が上がろうが、油代が上がろうが、価格は安く抑えられたまま。


しかし、かつお節屋たちも手をこまねいているわけではない。それぞれのかつお節屋は、それぞれ独自に生き残り策を模索している。Aさんの工場では、通常遠洋物・輸入物のかつお節を使うところ、あえて近海一本釣りのカツオにこだわったかつお節を作っている。Bさんの工場では、かつお節製造の工程の最初に来る煮熟(ふりがな:しゃじゅく)という工程であくを取るなどの工夫をして品質向上を図っている。Cさんの工場では、昔ながらの本枯節(カビを付けるかつお節。近年生産量はたいへん少なくなっている)を作り続けている。どこの工場も、決して肩肘張ってこだわっているわけではない。Cさんも「もともと大規模にやるのは性に合っていないので、親父がやっていたの受け継いで本枯節を作り続けている」と言う。それを今若い息子さんが受け継ごうとがんばっている。同じ若い世代ではDさんも、おそらくかつお節業界初の女性工場長としてがんばっている。Dさん、フットワーク軽くあちこち飛び回って情報戦で生き残ろうとしているが、同時に、「この業界は儲かるときも損するときもある。長い期間でトントンであればよい」とも割り切る。


そこそこな商売がそこそこに続いて、みんながそこそこ幸せになれる経済はどうすればできるのだろうか。