【31】インドネシアのかつお節

いましばらくかつお節の話にお付きあいを。


かつお節をめぐる最近の変化と言えば、なんと言っても、輸入かつお節の伸びだ。現在私たちが食べているかつお節の一五%ほどが輸入。つい何年か前までは数%だった。その中心がインドネシアだ。


インドネシアでかつお節を作っているのは、スラウェシ島北部に位置するビトゥンという町。このあたりはカツオの生産地でもあり、そのカツオを水揚げして、冷凍加工、缶詰、かつお節にして国内向け及び輸出をしているカツオの一大基地である。


というわけで、この九月、久しぶりにインドネシアを訪れ、ビトゥンのかつお節工場をいくつも回った。ビトゥンでは現在四社がかつお節工場を展開している。


そのうちの一つA社では、一二〇名ほどの従業員が働いている。大きな工場だ。生のカツオを切るセクション、煮熟するセクション、骨抜きをするセクション、焙乾するセクションに分かれ、それぞれ忙しそうに動いている。骨抜きのセクションでは、ちょうど地域の水産高校の女子学生たちが実習で入っていた。


A社の責任者Cさんは、高校で日本語を勉強して地元の大学に入ったが、在学中の一九八七年、日本人が始めたかつお節の会社に入社し、大学は中退。以来、いくつかのかつお節会社を渡り歩いて、現在の会社に至っている。ビトゥンで戦後かつお節の製造が始まったのは一九七〇年代だが、なかなか軌道に乗らず、一九九〇年代、ようやく生産が安定する。Cさんの歩んできた人生は、ビトゥンのかつお節の歴史と重なる。


「現在、ヨーロッパ向けに衛生管理基準をクリアするための努力をしています。これはなかなか難しいです」。ヨーロッパ? 「今ビトゥンでは荒節(花かつおにする前のかつお節)を日本に輸出するのみで、削り節はやっていませんが、今後は削り節を作ってインドネシア国内、シンガポール、そしてヨーロッパに売るのが目標です。ヨーロッパではまず日本食レストランがターゲットです」。いやはや、かつお節業界は意外に展開が早い。


このビトゥン、実は戦前もかつお節を作っていた。愛知県出身の大岩勇という人物がここでかつお節の会社大岩漁業を立ち上げ、日本からの移民とともに地元の住民たちを雇いながら、かつお節を作って日本に輸出していた。そのことが、一九七〇年以降この地でかつお節生産が再開される機縁となっている。


そして、この町と日本との関係は、それにとどまらない。現在、この町から多くの日系人が日本へ出稼ぎに来ている。大岩漁業の落とし子たちだ。茨城県の大洗という町で、多くの日系インドネシア人たちが水産加工の仕事に従事している。


かつお節をめぐってヒトとモノが縦横無尽に動いている。そのつなぎ目の一つが、このビトゥンという知られざる町だった。