【37】米国シアトルの多彩な地域活動(2)

昨年十~十一月に訪れたシアトルの話のつづき。


シアトル空港に着いたとき、ホテルまで送ってくれるバスの運転手と話をしていたら、その運転手が西サモア(ポリネシアの小国)出身だということがわかった。西サモアから米国への移民が近年多いとは聞いていたが、こんなところで会うとは。米国内をあちこちしていて、今はシアトルで働いているという。「早く故郷に帰りたいよ」。もう少し稼いでから帰るということらしい。


シアトル滞在中、「多様性(ダイバーシティ)」という言葉をたくさん耳にした。シアトルが民族的に多様な町であり、その多様性に配慮したまちづくりを行わなければならないという意識がたいへん浸透している。


エル・セントロ・デ・ラ・ラザ(スペイン語で「みんなのセンター」)というセンターを訪れた。月に一度センター内の案内ツアーの日を設けていて、その日に合わせて訪問。僕らは、大学生や一般人と一緒に案内してもらった。主にヒスパニック系の人たちを対象に、さまざまな生活支援やアドボカシーを行っている民間団体である。


センターの建物はともと古い学校だった。センターの歴史は、一九七二年、活動家たちがすでに廃校になっていたこの学校を平和的に占拠したことに始まる。当時は先住民族を含む各民族、アフリカ系の活動リーダーたちがお互いに助け合いながら運動を進めている時代で、その中からヒスパニック系の運動がこの建物の占拠に成功したのだった。一九六〇年代からの学生運動、ベトナム反戦の流れも汲んでいた。


この占拠はのちにシアトル市長によって公式に認められ(それもすごい話だ)、エル・セントロ・デ・ラ・ラザの活動もさらに進展した。現在センターは多くの寄付、ボランティアに支えられ、連邦政府や州政府、市当局からもお金を引き出し(現在年間五〇〇万ドルの予算で、うち行政からの補助金は約六〇%)、保育、進学支援、青年教育、住宅購入支援など、ヒスパニックを中心とする低所得者層向けのさまざまなサービスを行っている。建物の中の保育園では子供たちが走り回っていたし、その正面の部屋では、ちょうどフードバンクからの食料を受け取る人の列ができていた。


シアトル郊外のコ・ハウジング(住む人が集まって事業主になり建設する集合住宅。コーポラティブ・ハウス)を見学したときも、「多様性」という言葉が出てきた。二七の家族が参加しているコ・ハウジングの代表キャシー・セラーさんは、「なるべく多様性が出るようにと思って家族を集めました」。各家の玄関が向き合う方になっていて、真ん中には美しい庭が広がっている。コモン・スペースとして、共同キッチン、ダイニング・ホール、共同ランドリー、倉庫、子供の遊び部屋、事務室、会議室がある。会議室には、子供たちのそれぞれの家族の成長の様子を示す集合写真が掲げられている。「週三回みんなで食事をしています」。


多様な人たちが一緒に住み、支え合う。