生態学会という場

生物が好きだとか、人間の心理に興味があるとか、そういう人間の志向がどうやって決まっていくのか、よくわからない。とにかく自分自身について言えば、生態学者になりたいなどと思ったことは一度もない。自然は嫌いではないが、それを研究したいという気持ちはどこから出てくるのか。


生態学者とのつきあいも近年少しずつ出てきたが、生態学会というのはどういう人がどういう感じで集まるのか。そんな興味もあって、生態学会に参加したいと前から思っていた。たまたま2つのセッションに報告者・コメントとして誘っていただいて、かつ札幌で開かれるということで、初めて参加することになった。


いくつかのセッションを傍聴してみる。こんなことやって何になるの? 技法に走りすぎだなあ、と感じる報告ももちろんあり、一方、お、これは使えそうだな、とか、なかなか大事な基礎研究だな、とか思うものもある。そういう“多様性”は、社会学会に出たときの印象とだいたい似た感じだ。


もちろんさっぱりわからない報告もある。しかし、わからないなりに、何を目指した研究なのか、方法論は何なのか、くらいはわかる。それでよい。分かりたかったことは、そういうことなのだ。たくさん報告を聞いていると、その身体的な構えみたいなものが少しだけ会得できる。


印象的なのは、生態学の社会的な役割や社会科学との協働を謳うセッションや報告が、意外にたくさんあったということ。僕が誘われた2つの部会はまさにそれを謳ったものだったが、それだけでなく、全体としてそういう傾向があった。学会メンバーの人に聞いても、今年はとく多いという。


理論志向の報告と実践志向の報告が並存していることにも気がついた。両者が仲良く共存しているのか、せめぎあっているのかまではわからなかったが、一つの学会で両者があることは悪いことではない。


一つ感心したのは、学会員同士がみな「さん」付けで呼ぶこと。大学院生の会員が会長(東北大の中静透さん)を呼ぶときも「さん」付けだった。


というわけで、異分野の学会も楽しいものです。