『開発と生活戦略の民族誌』にまつわる話【3】写真の役割

『開発と生活戦略の民族誌』にまつわる話の続き。


この本では、写真を多用している。70枚程度の写真を、どれもいくらか大きく使った。


個人的に写真を撮るが好きで、一眼レフの時代のリバーサルから、2002年ごろからデジカメに移行し、たくさんの写真を撮ってきた。数えてみるとソロモン諸島の写真は8,200枚も撮っていた。


たくさん撮った写真を使いたかったということもあるが、何より、写真を使わないと伝えられないことがある。


本における写真の役割は、本文を補足的に説明するための写真、というだけでない。写真のみで伝えられることがある。あるいは、写真は、もしかすると本文を覆すかもしれない。写真と本文は調和的な関係にあるとは限らない。


この本でもう一つ多用したものに、住民の語りがある。住民の語りを使うのは、最近の社会学ではずいぶん多くなってきたが(そういえば、昔はこんなになかったし、もっとありそうな文化人類学では実は少ない)、それは、やはり本文を補足するためというより、その語りそのものに語らせよう、という潮流だとも言える。語りを挿入すると、本文での筆者の記述がその語りによって乗り越えられてしまうことだってある。本文と語りの不協和音が、実はその本に深みをもたらす。


写真も同じこと。だから、この本では、試みに、写真を主としたページもいくつか設けてみた。文章があってそれを「説明」する写真があるというのではなく、写真があってそれを補足する文章がある、という形をいくつか挿入した。


写真が本文をはみ出すだけでなく、本文では周到に隠したつもりの僕の内なるオリエンタリズムも写真ではもっと率直に出てしまっているかもしれない。それはそれで、そのまま現しておきたいと思う。


編集者のOさんは、もともと写真の使い方がとくにうまいという編集者ではなかったが、私の勝手な要望を受け入れてくださり、たいへん工夫のある写真の扱いをしてくださった。写真を多用している他の出版社の本も参考にしながら、Oさんなりのすばらしいデザインを考えてくださった。


というわけで、この本は、写真もお楽しみください。