【38】新妻昭夫さんとの旅

誰かと一緒に旅するのは楽しい。志を同じくし、しかも目の付けどころが違う人と旅するのはなお楽しい。『種の起源をもとめて』(毎日出版文化賞受賞)などで知られる生態学者・博物学者、新妻昭夫さんは僕にとってそんな存在だった。その新妻さんの突然の訃報を知らされたのは昨年11月。享年61。


1988年、僕は鶴見良行さんを介して、新妻さんに出会った。進化論を提唱したダーウィンやウォーレスについて魅力的な文章を書いていた新妻さんを、どこからか鶴見さんは見つけてきて、面識のなかった新妻さんにいきなり「インドネシアの船の旅に出ないか」と誘った(このやり方は鶴見さんお得意のパターンだった)。北海道大学探検部で鳴らした新妻さんは、すぐに「参加します」と返事した。この年、僕も新妻さんも、鶴見良行さん、村井吉敬さん、森本孝さんらと東インドネシアを木造船で回るという旅をした。みんなビンボーだった。僕はビンボーな学生で、新妻さんはずっとフリーだった。権威主義的なところが全くない自由人だった新妻さんを僕は慕い、好んで一緒に旅をした。


新妻さんは蝶採りの名人で、いつも捕虫網と三角紙(捕まえた蝶を入れる)を携えて、蝶と追いかけていた。動物の糞を見つけは、観察を始める。そういうことに関心のなかった僕も、地面を眺めたり空を眺めたりしながら歩くということを覚えた。


あれは、新妻さんと僕の至福のフィールドワークな日々だった。


新妻さんにとってこうした旅は、150年前にアルフレッド・ウォーレス(ダーウィンとともに進化論をとなえた。『マレー諸島』などの旅行記でも知られる)が歩いた足跡を自分の足で追う旅でもあった。旅は新妻さんの中で熟成し、ウォーレス論の白眉である名著『種の起源をもとめて』に結実した。


新妻さんは札幌出身。実家は昔、札幌南部で「新妻葡萄園」というのをやっていたらしい。1998年に生まれて初めて定職(恵泉女学園大学教員)を得た新妻さんは、(今となっては)晩年、園芸(ガーデニング)の研究に取り組んだ。イギリスの庭づくりが近代の歴史の中でどういう意味を持ったか、庭とはそもそも人間にとって何なのか。その問いは、「新妻葡萄園」の血を引く新妻さんの先祖返りだったかもしれない。


僕は自然と人間との間の相互関係を「半栽培」という言葉で表し、その関係の多様さについて、仲間たちと議論していた。新妻さんの園芸研究はそれと交差し、新妻さんは僕らの研究会にも熱心に足を運んでくれた。僕は新妻さんとまた交われたことがうれしく、またかつてのように一緒に歩くことを夢見ていた。