【41】石巻の復興とともに

このコラムでも何度か取り上げてきた宮城県北上町(現石巻市)。ヨシの話とか、栗拾いの話とか、戦後開拓の話とか、磯物の話とかを取り上げてきた。とにかく二〇〇四年に通いはじめてから、僕はたくさんのことをこの地域から教えてもらった。


その町が今度の東日本大震災で大きな被害にあった。とくに北上町の海辺の村々は、壊滅的な被害に遭った。震災後この地を訪れた僕らは、見慣れた集落の家並みがごっそりなくなっているのに唖然とするしかなかった。幸いお世話になった多くの人たちは生存していたが、そのうちの多くの方が家を失った。残念ながら亡くなった方々もいた。


そうこうしているうち、石巻市でNGOのパルシック(アジア太平洋資料センターPARCから生まれた国際協力NGO)が活動していることを知った。連絡をとり、連携の可能性を探った。パルシックは四月から支援活動を始め、酪農学園大学の学生たちをボランティアに受け入れていた。酪農の学生たちのあと、とくに夏休みのボランティアを北海道大学から派遣して受け入れてもらうことにした。果たして学生たちが集まるか少し心配だったが、関心は高く、文学部を中心に三〇名以上の学生が派遣に応じてくれた。


現在パルシックは、在宅被災者が多くいる石巻市内のエリアで、コミュニティ・カフェの運営を中心に活動している。学生たちもそのコミュニティ・カフェの手伝いをしたり、その日その日のさまざまなボランティア活動に従事した。


僕らは今、パルシックとともに、石巻市の旧北上町地区で復興支援に乗り出そうとしている。支援、というほど大げさなものではない。ほんの少しのお手伝いだ。


旧北上町地区の漁業地区である「十三浜」は、もともと漁業が盛んなところ。近年はワカメ、コンブ、ホタテの養殖やサケの定置網が主力だ。しかしその設備も、漁師さんたちの家もほとんどが壊滅してしまった。集落をどう再構築するか、そして漁業をどう復興させるかが焦眉。集落については近隣の複数の高台へ集団移転するという方向が、震災後早い段階で地域から出された。もともと「契約講」という地域組織がしっかりしていて、漁業という産業基盤もしっかりしているところだからこそ、住民たちの意思表示も早かった。漁業復興は、まず主力のワカメの復興から始め、今年十月からの種付け、来春の収穫を目指してすでに動き出している。漁協の佐藤清吾さん(宮城県漁協十三浜支所運営委員長)は、「みんなで力を合わせて復興していく。一〇〇人で一歩、と進んでいく」と語る。僕らも少しでもお役に立ちたいと考えている。