【42】石巻の復興とともに(その2)

被災にあった宮城県北上町(現石巻市)。10月から11月にかけて2週間ほど滞在している間に、被災者のみなさんのいろいろな話を聞くことになった。すさまじい被災体験から、ちょっと笑える話まで。ある被災者夫婦は、ひとしきり被災後の体験を語ったあと、「夢を見ているよう」と言った。家ごと流されて奇跡的に助かったある被災者は「人の絆を本当に感じたね、今回は」と語った。話の聞くたびに、僕を言葉をつまらせる。


そんな中、僕らはこの地区の復興のお手伝いに少しだけ乗り出すことになった。そういう場を与えられたことにまず感謝。


僕らの役割は、この地域の集団高台移転の合意形成の側面支援。津波で家をなくしてしまった人たちが、集落ごとに集団で高台に移転する、そのお手伝いだ。北上町では、多くの人が集団高台移転を望んでいる。国の制度としては「防災集団移転促進事業」および「災害公営住宅事業」というものがあり、石巻市としてはこれを利用して高台移転を進めようとしている。そのときに大事になってくるのが、集落ごとの合意形成。みんなが集団移転に参加する必要はないが、集落としてこの集団移転に参加するという意思表示が必要になってくる。


ということで、集落ごとの話し合いを始めた。ワークショップの手法を少しだけ取り入れながら、なるべくみんなに発言してもらうように工夫した。議論は当然あちこちする。行政に説明を求めたり要望したり、一方住民同士で話し合いが始まったり。あちこちする話を何とか方向づけ、出た話はすべてアシスタントの学生が付箋紙にまとめていく。


話の中で僕らが少しびっくりしたのは、住民のみなさんが「コミュニティ」というカタカナ言葉を連発すること。「コミュニティが大事」「ここのコミュニティを再現したい」。「コミュニティ」はカタカナだが、住民たちの気持ちにぴったり来たのだろう。「仙台の息子のところにしばらく寄せてもらっていたが、やはりここがいい。自由に出歩けるし、畑もある。何よりコミュニティがある」。そういう思いがみんなから出されて、僕らも少し温かい気持ちになる。


一連の話し合いの最終日には、女性たちだけの会をもった。これがすごかった。それまでの男性中心の会に比べ、迫力が違った。本音がズバズバ出て、いい意味で議論続出。なんだ、最初から女性中心の会にすればよかったのではないか。


そもそも、この地域のみなさんは、こういう寄合いには慣れている。契約講という伝統的な自治組織があり、地域のまとまりは、地域の人たち自身が自慢するところだ。それでも、みんなの意見をお互いに聞き合うことは、貴重なステップになった。話し合いを行った七つの集落のほとんどで、次回は、僕ら支援者抜きで、集落内だけの話し合いをするということになった。


制度的な障害もあり、また個人の利害もからむので、集団高台移転は決して楽な道ではない。しかし、地域のまとまりがある以上、この地区は大丈夫だと思う。一刻も早く住居が再建され、コミュニティが復活することを願うばかりだし、そのお手伝いを続けていきたい。