【44】石巻の復興とともに(その3)


石巻通いが続いている。一ヶ月に一度くらいのペースで石巻市北上町に出かけ、現地で活動するNPO法人パルシックの事務所(元民宿を借り切っている)に寝泊まりさせてもらい、主に集団高台移転のお手伝いをしている。何人かの学生・院生も一緒。


集団高台移転は国の制度の枠組みで行われるもので、集落内の合意形成が重要になってくる。合意形成そのものの難しさもあるが、さらに、国の制度はもちろん万能ではないので、住民たちの実情とそぐわないところがある。そのあたりを行政も含めて話し合い、うまい解決がないかどうか、行政にも考えてもらう。実際いくつかの点では、行政側がいい案を出してきてくれ、問題がクリアできた。


合意形成には主に三段階くらいあり、まず、集落として元の海岸沿いの土地には住まないことを合意する段階。次に誰が集団移転に参加するか、また、どこに集団移転するか、ということについての合意。最後に、移転地のデザインについての合意。北上町では、すでにいくつかの集落で最後の移転地のデザインについての話し合いの段階に入っており、これは全国的にも早い方だ。


決してスムーズとは言えないが、何とかここまで来たのにはいくつかの原因がある。


一つは、Kさんという行政マンの存在。北上町役場が津波で破壊され、多くの職員が亡くなる中、奇跡的に助かったKさんは、現在復興関係の仕事を一手に担っている。Kさんは、住民の立場に立った復興を考えており、僕ら外部の者との連携も重視する。得がたい人材だ。


今回の高台移転事業は、さらに日本建築家協会宮城地域会の人たちとの協働でもある。日本建築家協会とは建築家たちの全国組織。その宮城地域会の人たちが震災以降ずっと、被災地との連携を模索していて、僕らよりも先に北上町で集団高台移転にかかわっていた。Kさんの仲立ちで建築家のみなさんと僕らは出会い、協働が始まった。協働には信頼関係が必須。僕らは、Kさんとは震災前から懇意していたし、また、日本建築家協会の建築家のみなさんとはすぐ信頼関係が結べた。


そして、この地域の集団高台移転が比較的進んでいる最後の原因は、なんと言っても、この地域のコミュニティとしての底力。A集落のEさんはこう話してくれた。「避難所のときのこの集落の団結力はすごかった。若者は若者で消防団として一致団結して動き、女性たちは女性たちでどんどん避難所を運営していった」。


集落ごとの話し合いに参加していると、おもしろいことに、合意形成の流儀が集落によって微妙に違うことに気がつく。お互い探り合いながらゆっくりと合意形成していく集落、がんがん言い合う集落、リーダーのリーダーシップのもと早く合意形成していく集落など、それぞれの流儀がある。しかし流儀こそ違え、地域での話し合いの素地を十分もっていることは共通した特徴。そのコミュニティ力が復興へ向けた動きを支えている。


僕の見るところ、今の課題は二点。集団高台移転を含め、地域の中では復興へ向けてさまざまな動きがあるが、それらを横につなぎ、また、行政・支援者などをつなぐコーディネーターの存在。幸い北上町では、パルシックが少しそうした役割を果たしつつあるし、また、地域の若い女性グループもこれからその役割を担おうとしている。もう一点は、僕ら自身の課題だが、地域全体の細かな声や思いを拾いきれていないこと。今こそ「小さな社会を掘り起こす」ことが大事なのだが、十分にそれができていない。それが四月以降の僕らの役割の一つだと思っている。