【47】石巻の復興とともに(その4)

宮城県石巻市北上町にて、みんなで聞き取り調査をした。みんな、というのは学生を含む大学関係者、日本建築家協会の建築士たち、それにパルシック、FoE-JAPANというNGOとの協働。八月の二週間かけて、総勢約三〇名で、約六〇名の住民のみなさんの話を聞いた。


二通りの調査を並行して行った。一つは、津浪で流された元の集落を区長さんと一緒に歩きながら話を聞くという調査。もう一つは、仮設住宅などでじっくりお話をうかがうという調査。


なぜこんな調査を今ごろしたのか。


昨年から北上町の集団高台移転の合意形成についてお手伝いを続けてきた。ワークショップを開いて住民の思いを引き出し、そこから高台移転へ向けての準備をしていくというものだった。そこで浮かびあがってきたのは、一人ひとりの事情がある、一人ひとりの思いがある、という当たり前のことだった。それをもう少し掘り起こす必要がある、と感じていた。


ちょうど日本建築家協会のみなさんも、高台移転の図面を描く中で現地調査の必要性を感じていた。じゃあ一緒にやりましょう、ということで、この集中調査となった。


大きな被害に遭ったところだけでなくて、相対的に被害が少なかった集落も対象とした。なるべく女性にたくさんインタビューするようにした。若い人もなるべく多く対象にした。


つらい話もたくさん聞いた。家族を亡くした話。仮設住宅での生活の苦労。


楽しい話もいっぱい聞いた。元の集落でのお祭り。避難所での助け合い。


これからのことも本当にいろいろだった。北上町に残るという意思を示した人。北上町を出る決意をした人。残るかどうするかまだ迷っている人。「できればここに残りたいと思っているが、そうできない事情がある」と語ってくれた人もいる。契約講という地域の自治組織の解散を決めてしまった集落もある。今後の北上町について希望をもって語ってくれた人もいる。そこまで考えられないという人もいる。


僕らにとって厳しい話もたくさんあった。僕らがお手伝いしてきた高台集団移転がなかなか前に進んでいないことについて、多くの人たちがいらだちを感じていることがわかった。復興のスピードはやはり遅い。


ところで今回の調査は、大人数でやるたいへんさもいろいろあったが、大人数でしかできなかった。手分けしてインタビューし、それをなるべく早い段階でまとめる(日本建築家協会のみなさんは、地図にまとめていった。これはさすが)。それを調査にかかわっている人たちの間で共有する。それを二週間、濃密に繰り返した。


こんな調査、僕も初めてだった。


ここでわかった一人ひとりの思いを大事にした復興のあり方とはどういうものだろうか。それはなかなか難しいが、今回の調査の結果はさまざまに活かしていけるはずだ。