瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』

名著。


読みながら、何度も、心の奥深いところでの静かな感動にとらわれた。それは一つには筆者の確かな筆力があるが、もちろんそれだけではない。


アイヌの母の物語、曾祖父、高祖父の足跡、さらには縁のあったウィルタの女性の人生をたどることにより、筆者自身の何か(「アイデンティティ」と言ってしまうと少しうすっぺらくなってしまうような「何か」)を探す旅。彼らはどうしてそこにいたのか。そこで何を食べ、何を考えていたのか。そしてそのことが、自分はどうしてそこにいたのか、という問いにどう結びつくのか。それらを、ゆっくりと、ジグザグしながら、描き出す。


狩猟や渡船などさまざまな仕事、からみあった家族の関係、日本人との関係、踊り、そしてサハリンの朝鮮人女性。


「私は自分自身のルーツとして、アイヌのことがものすごく気になりながらも、アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身との距離がずっとつかめずにいた」


その筆者がたどりつき、また、この本で静かに描き出しているのは、歴史の多面性であり、個人の多重性。


じっさい、多重性は書きにくい。人は、物事を単純化することで、思考も記述も楽になる。しかし、それでは何かがこぼれおちてしまう。筆者の宿命的な疑問、「なぜ私は阿寒の観光地で観光客のまなざしにさらされながら育ったのか」「私は誰なのか」は、多重性の中でしか描けない。先輩たちの多面的な生活、多声的な人生から、「アイヌ」や「民族の歴史」をとらえかす。彼らの人生はいかにも破天荒で、語りも一筋縄ではいかない。その一筋縄でいかないさまこそが、逆に、筆者の問いを次第に解きほぐす。


「網走をもっと田舎にしたみたいなところ」だろうと思っていたサハリンへの旅で、その多様な世界に触れることが、この本を書くきっかけにもなっている。


アイヌの儀礼に兄弟で参加するところで終わるこの本の結語はこうだ。「自分たちのために、自分たちのやりかたでやる方法はたくさん残っている。自分で探せばよいのだった」


編集グループ〈SURE〉という、Amazonでも書店でも売らないような本ばかりを作っている出版社から出たこの本は、今後一つの古典になっていくだろう。


(この本を私にくださったのは、この本の「解説」も書いている山田伸一さん[北海道開拓記念館]。多謝。山田さんの解説も、この本のより深い理解のためにたいへん有用)


瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』編集グループ〈SURE〉

http://www.groupsure.net/