【59】石巻の復興とともに(その7)震災三年半の被災地

被災者の今の声を拾っていこうと一昨年から始めた夏の集中調査。今年も八月、石巻市北上町で三十名余ほどの人たちに話を聞いた。 

 

ちょうど調査中に高台集団移転予定地の地鎮祭が開かれた集落があった、ここの人たちは、「地鎮祭もあって、ようやく『始まる』という感じがするねえ」とうれしげだ。だいぶ待たされたし、家が建てられるのはまだずっと先だが、それでも先が見えてきた。地鎮祭はまだの地区でも、集団移転がようやく動き出したということで、「どういう家を建てたいかという話もするようになった」とういう明るい話も。

 

高台移転に参加しない人たちもいる。迷った末に高台移転に参加する人、迷った末に高台移転に参加しない人。それぞれ、震災三年半で、苦渋の決断も含めて、だいたいの方向性は見えてきたか。「隣町に移転するが、孫の中学卒業を待ってから家を建てようと思う」。「残るつもりだったけど、いざ移るとなったときに、利便性を考えて市街地に移ることにした」。それぞれの決断。

 

今回私たちは、とくに集落のゆくえが不透明なまましばらく「放っておかれた」人たちの話を重点的に聞いた。この人たちは、震災のあと、半壊の家に大金を投じてリフォームして住み、ずっとそこに住み続ける決意でいた。同じ集落で出ていった人も多いが、残った人たちは話しあって「一緒に残ってがんばろう」と団結していた。しかし集落は「危険区域」に指定され、住むことはできるが、将来新しく家を建てることもできない。結局のところ、土地や家を買い取ってもらい、出ることになった。決まったのはようやく昨年末ごろ。「集落で何度か話し合いを持って、全世帯移転することにしました」。「危険区域に決まったときは、せっかく直したのになぜ、という想いがあった。しかし、長い目で見れば、孫の代まで危険区域に住み続けるわけにもいかない。覚悟を決めて移転することにしました」。この集落の人たちは、みんなバラバラになる。「新しいコミュニティに馴染めるだろうか」、と不安も話してくれた。

 

新しいコミュニティが問題なのは集団移転の人たちも同じだ。いくつかの集落から集まっての集団移転地区がいくつもあり、そこでどういうコミュニティを作ればよいのか、お祭りはどうするのか、自治会はどうするのか。それでも希望も持っている。「出て行った人たちが、もう一回帰りたい、というような町にしたい。そういう願いをもっている」

 

みな、それぞれの状況の中で、必至で真剣。その方向性はそれぞれで、また、それぞれの不安やら課題やら困難、そして希望がある。それが震災三年半の状況。