【60】カンボジアからタイへの出稼ぎ民たち

カンボジアの内陸、コンポントム州のある村。カンボジアはどこまでも平地がつづき、この村も見渡すかぎりの田んぼが広がる。畔に植えられているロンタール・ヤシとあいまって、美しい景観だ。しかし、田んぼの水は天水に頼っていて、乾期に作物はできない。

 

この九月、昔からの仲間と、タイの漁業をめぐる状況を調べに、カンボジアとタイを訪れた。 

 

村長さんに話を聞いた。「この村の人口は一一〇〇人、二五〇世帯です。そのうち二二〇名ほどが出稼ぎに出ています。昨年は一〇〇名程度でしたが、今年は多いです。うちタイに出かけている者が一九〇名ほど、韓国に出かけている者が三〇名ほどです。他に若い女性たちがプノンペンの縫製工場に働きに行っています」

 

この村の三二歳のAさん(男性)は、一〇年ほど前、タイに出稼ぎに行っていた。その話を聞かせてもらった。

 

「手配師に導かれ、パスポートを持たずにタイへ向かいました。国境の森を抜けて、ラヨーン[タイ東部の港町]の漁船に乗りました。カンボジア人が多かったですが、他にタイ人やビルマ人も乗っていました。三〇名ほどの船員が乗る大きな巻き網の船で、一度船に乗ると十日~一カ月は帰ってきません。

 

賃金は不定期でしたし、雇い主はかなりピンハネをしていたようです。きつい仕事でした。

 

あるとき、別の港へ向かう船に売られそうになったので、海に飛び込んで港まで泳いで逃げました。もうタイに出稼ぎに出たいとは思いません。船の生活は怖いし、病気が心配。タイのギャングも怖いです。村の生活の方が自分で何でもやれるのでよいです」。

 

カンボジアの村で出稼ぎの実態の話を聞いたあと、タイに入った。

 

バンコク近郊のマハチャイという町では、多くの外国人労働者たちに出会った。漁船に乗っているのはやはり主にカンボジア人、そして水産加工の工場で働いているのは主にビルマ人だった。

 

そうした外国人労働者を支援する「労働者の権利促進ネットワーク(LPN)」というNGOに話を聞いた。ちょうど私たちが訪れる少し前に、マハチャイの漁船から、海に落ちてビルマ人が亡くなるという事件が起きていた。船会社は責任を果たさず、賠償金も払わない。亡くなった労働者には妻と三歳の子どもが残された。LPNは、現在、これを支援して、会社に賠償金を払うよう働きかけている。このような事故が年に四~五回あるという。

 

 

マハチャイは、タイの水産加工業のメッカだが、そこで働く労働者のほとんどは外国人。マハチャイの外国人労働者は合法二五万人、非合法数万人。そこで作られた缶詰は日本にも多く輸出されている。