【62】イリコと瀬戸内海の島

瀬戸内海に浮かぶ伊吹島(ふりがな/いぶきじま)の海岸には、一七のイリコ工場がずらりと並ぶ。ちょっと壮観。

 

イリコとは、もちろん煮干しのこと。カタクチイワシを煮て干して、だしとして使う。僕は松山の出身だから、だしといえばイリコ。しかしイリコの生産現場を見るのは生まれて初めて。伊吹島はイリコ生産で有名な島で、冬は操業をやっていないのだけれど、とにかくイリコのことを知りたくて訪れた。

 

伊吹島の一七軒のイリコ工場は、それぞれ自前の船を四隻持ち、二隻は並んで「パッチ網漁」という曳網漁でカタクチイワシを獲り、二隻の運搬船がそれを直ちに工場まで運ぶ(それを一日何度も繰り返す)。網の形がパッチ(ももひき)に似ているからパッチ網漁と呼ぶという説が有力という(確かに似ている)。

 

伊吹島の漁民たちは、かつて朝鮮半島にも進出していた。瀬戸内海漁民は、明治から昭和にかけて、フィリピン、シンガポール、ボルネオ、台湾、朝鮮半島へ、縦横無尽に移民していったことで知られるが、伊吹島の人びとは大正期から朝鮮半島に積極的に進出し、さまざまな魚をとり、またそこで加工していた。

 

かなり昔から(いつからかは不明だが少なくとも明治期にはすでに)イリコを生産していた伊吹島だが、その最盛期は一九八〇年代。しかし、九〇年代以降は、なぜかカタクチイワシの品質が悪くなり(脂が多くなっていていりこに向かなくなったという)、また漁獲量も減り、現在は苦しい状況が続いている。各工場は今でも漁と工場とで二〇人以上の人間を雇用しているが、漁期が夏から秋に限られることから、若い人は少なく、高齢化が進んでいる。かつて四〇〇〇人いた島の人口は現在は六百人。かつて一学年八〇人いた小学校は現在全校でわずか一〇名。イリコ生産で元気な島、というイメージで訪れた私たちだったが、実態は少し違った。

 

それにしても、イリコは謎が多い。いったいいつからイリコだしというものが存在するのか、その生産地はどう変遷したのか? 流通は? かつて僕らが調べたかつお節以上にイリコは奥が深いかもしれない。

 

一昨年亡くなった村井吉敬さんが最後に取り組んだテーマがイワシだった。その研究は「イワシを獲る漁民も、貧しく小さな存在。イワシとともに、生きることのつらさ、もっと大きい悪い奴を倒すにはどうしたらいいか考えようと思った」という思いからだったという(都留歴子・佐伯奈津子「『小さな民』とイワシ研究」)。

 

村井さんの遺志を継ぐ何人かが、こうして細々とイワシ研究を始めました。どこへ向かうことやら。