【1】かつお節の調査が僕らをむすびつけてくれた

先日「カツカツ研」の解散式をやった。「カツカツ研」というのは、市民や研究者が共同でカツオ・かつお節について調査した、「カツオ・かつお節研究会」という小さなグループのことだ。解散式って言ったって、横浜の中華街のお店で夕食をみんなで囲んだだけだ。夕食の前には、横浜の「神奈川県民活動サポートセンター」のフリースペースを使わせてもらい、残務処理のミーティングを開いた。

解散式を開きながら、僕は、がらにもなく、ちょっと感傷的になっていた。思えば10年くらい前に、かつお節の研究会を始めよう、かつお節から南北問題・グローバリゼーションを考えてみよう、と考え、いろいろな人に声をかけた。NGO関係者、青年海外協力隊のOB・OG、沖縄に関心がある若い人たちなどが集まってきた。高校の先生をしていてなかなか調査の時間がとれないあるメンバーは、大学時代を過ごした鹿児島で、かつお節と森との関係をさぐる詳細な調査をしてきて、研究会をわかせた。琉球大学出身のある女性は、沖縄・伊良部島のかつお節工場でバイトをしながら、昔の沖縄移民の聞き取り調査をした。そんな、市民による魅力的な調査が次々に生まれた研究会だった。2ヶ月に1度くらい会うだけだったが、いい仲間たちだった。

昨年の11月に『カツオとかつお節の同時代史』という本を出して、長く続いたこの研究会も、無事終了した。一緒に調査をする仲間との出会い、調査の現場でお世話になる人々との出会い、そんなものも、一つの区切りを迎えることになったのだ。

沖縄県池間島の譜久村健さん(1925年生まれ)は、最初僕が訪ねていったとき、資料を貸してくれという僕に「見ず知らずの人に簡単に貸せない」と冷たく言った。そりゃあそうだ、と僕は思ったが、でも少し落ち込んだ。しかし、2回目、3回目の訪問で、譜久村さんは僕をすっかり受け入れてくれ、以降、僕は島の調査について譜久村さんに頼りっぱなしになった。お酒の限界を知らない譜久村さんの相手をすると、翌日は二日酔いでのたうち回ることが多かった。そんな譜久村さんとも、最近では年に2~3度電話で話すだけになってしまった。今年はハーリー(島のボートレース)のときにでも行かなきゃ、と思う。

世の中には、僕らの知らないことがたくさんある。池間島というちっぽけな島の大半の人たちが戦前も戦後も海外に積極的に出ていた、という話は、僕らを素直に驚かせる。知らないことを知るには、足を運ぶしかない。足を運んでそこの空気を吸い、そこの人たちの話に耳をかたむけることが、僕らの社会の見方を、変え、また、厚くしてくれる。

何のために調べているの?という疑問にストレートに答えるのは難しい。しかし、調べるというコミュニケーションのしかたが、僕らの何かを変える可能性、社会の何かを変える可能性をもっていることだけは言えると思う


さっぽろ自由学校「遊」『ゆうひろば』88号(2005年5月号)