【24】インドネシア・船の旅と鶴見良行さん

一九八八年、僕らはチャハヤ・チュマラン号というおんぼろ木造船に乗った。インドネシア・スラウェシ島のウジュンパンダンという大きな町から、インドネシア東部の小さな島々を、頼りないチャハヤ号で航海した。


この一見無茶苦茶な航海を企画したのは、『バナナと日本人』や『ナマコの眼』で知られる鶴見良行さん。航海をともにしたのは、村井吉敬さん、内海愛子さん、藤林泰さん、それに、生態学者の新妻昭夫さん、漁村研究家の森本孝さんなど、総勢一七名。当時はたしか、二、三名以外は、みんな無職だった。お金はなかったけど、時間はあった。


新妻昭夫さんや森本孝さんは、そもそも鶴見さんや村井さんの旧知の人間ではなかった。新妻さんは当時アルフレッド・ウォーレス(ダーウィンと同時代の学者)に凝っていて、いろいろ文章を書いていた。森本さんは、当時『あるくみるきく』(民俗学者宮本常一が始めた雑誌。近畿日本ツーリストが資金を出していた)という雑誌の編集をやりながら、日本の漁村を歩いていた。そんな新妻さんや森本さんを、鶴見さんがどこからか見つけ出してきて、「一緒にやろう」と一本釣りしてきたのだった。鶴見さんの、そうした人集めのしかた自体がおもしろかった。


そして一九八八年七月、ウジュンパンダンに現地集合した僕らは、念願の木造船に乗り、三五日間の船旅に出航した。二日ほど航海して、着いた島でやはり二日ほど歩いて回る、というのを繰り返した。とにかくよく揺れる船で(ほんと、波がなくてもよく揺れた)、僕も含めて多くのメンバーが船酔いに苦しんだが、鶴見さんは、船に密かに持ちこんだお酒をちびちび飲みながら、一向に船酔いする気配がなかった。


インドネシアでも、東部に行くと、ジャワとかスマトラとかとはずいぶん違う文化が見られる。イモ食、サゴヤシなど、そうした東インドネシアの特徴が、僕らの目当てだった。サゴヤシは、その幹を砕いて、さらして、食用にする、という変わったヤシだ。加工するための道具もすべて地域の植物が利用されていた。サゴヤシと人とのすてきな関係に、僕らは大いにはしゃいだ。


「急がず、歩きながらゆっくり考えなさい」というのが鶴見さんの教えだった。チャハヤ・チュマラン号に乗ったあと、僕はボルネオ島やインドネシア東部を歩き、そして、やはり定点観測がしたいと思い、一九九二年からソロモン諸島に通いはじめた。


鶴見さんの短い文章に「ほしがた道とちぎれ道」というものがある。「ほしがた道」とは、「中央」につながる放射線の道のことである。それに対し「ちぎれ道」とは、地域と地域を結ぶ道である。まっすぐにつながらないで、あちこちでちぎれているから「ちぎれ道」。鶴見さんは、五島列島を歩きながら、チャハヤ号の旅で訪れたバンガイ島という小さな島を思い出し、「ちぎれ道」ということを思いついた。鶴見さんはこう書いた。「ちぎれ道を大事にしたい。それが地域の自立である」


[遊講座]「市民の学問、民の思想」

全5回 水曜18:30~20:30

7月23日鶴見良行と足で歩く東南アジア(宮内泰介)

8月6日松井やよりとアジア・女性・人権(本田雅和)

8月下旬予定【公開講演会】小田実と歩んだ20年(玄順恵)

9月3日高木仁三郎と市民科学(小野有五)

9月17日宇井純と反公害自主講座運動、水俣病(宮内泰介)


[北海道開拓記念館テーマ展]

テーマ展「鶴見良行、東南アジア・北海道を歩く」

会 期 : 7月 18日(金)~ 8月 24日(日)

会 場 : 北海道開拓記念館・特別展示室

関連事業

○講演会「チャハヤ号航海記」(宮内泰介)

7月20日(日)13時30分~15時30分

○フォーラム「鶴見良行の眼」(花崎皋平・新妻昭夫)

8月3日(日)13時~16時