【65】ルポルタージュを読む  

大学一年生向けの授業で、今年「ルポルタージュを読む」という授業を試みている。 

 

僕自身、鎌田慧、沢木耕太郎、足立倫行、魚住昭、佐野眞一などなど多くのルポルタージュになじんできた。表現の方法論としてもルポルタージュに共感するところが多い(そういえば鶴見良行さんも自分を「歴史ルポルタージュ作家」などと名乗っていた)。それを学生にすすめてみよう、と思ったのが第一。ルポルタージュをきっかけにさまざまな社会問題への関心が広がればよいし、なにより学生たちに本好きになってほしいという思いがあった。

 

授業の中心は、学生がそれぞれ本を読んできて、それを「ビブリオ・バトル」方式で発表しあう、というもの。ビブリオ・ボトルは、近年流行しているもので、それぞれが選んだ本について五分間でその魅力を語る。

 

実際やってみると、学生たちは、それぞれの思いで作品を選び、よく読んでそれを伝えてくれた。まずは満足。

 

授業では学生用に一〇〇冊僕の方で選び、その中から選んでね、ということにしたが、自分自身の読書の幅も広げたいと思い、これまでなじみのなかった書き手も加えようと考えた。(でも本屋で探してみようとすると、大きな本屋でも「ルポルタージュ」という棚はないことに気がついた。ルポルタージュはいろいろな棚にバラバラになっていた。ぜひルポルタージュの棚を作ってほしいなあ)

 

選定する過程で見つけた黒岩比佐子さんの作品にはちょっとうなってしまった。中でも『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』は秀作。黒岩さんの遺作となってしまったこの作品は、日本の社会運動の「冬の時代」における堺利彦の生き方を描いたもの。大逆事件(一九一〇年)のあと、徹底的な弾圧で何も運動ができなくなってしまう中、堺は「売文社」という人を食った名前の会社を立ち上げ、翻訳、代筆、出版などさまざまな事業を組み合わせ、「冬の時代」を生き延びる。黒岩はこれを「編集プロダクション」の先駆けと書いているが、僕の目には、社会的企業、事業型NPOの先駆けにも見える。事業の途中で社債を発行しているところなど、どこぞのNPOを想起させる。堺利彦という人間の魅力もあいまって、楽しい話ではないはずなのに、楽しい話に見えてくる。

 

いいルポルタージュの条件は、よく調べられているということ、作者の姿勢がはっきりしていること(でもそれはあまり露骨に出ていないこと)、そして登場人物がよく描かれていること、だと思う。人間が登場し、人間をめぐる多面的な世界が描かれたとき、それは私たちの胸にぐっと迫ってくる。

 

藤林泰さんと一緒に書いた『かつお節と日本人』も自分ではルポルタージュのつもりだが、さらにいいルポルタージュを書きたいなあ。