野村進『解放老人 認知症の豊かな体験世界』

野村進『解放老人 認知症の豊かな体験世界』を読む。

 

多方面のルポルタージュをものにしてきた野村進氏が、挑んだ対象は認知症の老人たち。救急精神医療や脳科学にかかわる作品を手がけてきた野村さんが、認知症でどんな作品を書いたのか、楽しみにして読んだ。 

 

野村氏は山形のある病院の「重度認知症治療病棟」に入り込み、認知症の老人たちにぴったりくっついて、その「体験世界」(社会学なら「意味世界」と呼ぶが)を共有したいと考える。そして、たとえば、ある男性が病院の中で決まったルートを繰り返し歩くのが往時の仕事のトラック運転のつもりであることを発見する。また、ある奇妙な行動をとる女性について、実はその行動が、自分の部屋の「世話役」を任されたと解釈して行動しているのだということを発見する。

 

同じ病棟に入院している他人を実の姉と思い込んでいるある女性について野村氏はこう言う。

 

私たちの家族もまた、○さんがひたする思い込んで創りあげた幻想の家族と、どれほど違っていようか。しかも彼女は、たとえばこの私などよりもはるかに深い、家族や他者への愛を保持している。

 

これは人類学の手法だ。

 

その手法によって、野村氏は、かわいそうな認知症患者、理解できない認知症患者、ではなく、理解できる老人、人生の最後に培ってきた豊かな人間性や社会性を(少し極端な形で)発揮しようとする老人(「解放老人」)を見ようとする。それを「豊かな体験世界」と呼ぶが、もちろんそこには「豊か」という言葉で言い尽くされない、もの悲しさやせつなさも含まれる。

 

人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来「ああはなりたくない」とか「あんなふうになっちゃおしまい」と忌避する者たちではけっしてなく、実はその対極にいる旅の案内人、そう、まさしく人生の達人たちなのである