【72】地域の持続性をきめるもの

ずっとおつきあいしている宮城県石巻市の北上地区(旧北上町)。東日本大震災の大きな被害を受けたこの地区も、集団高台移転がほぼ完了を迎えつつある。震災から六年半。長かった復興の道のりが、とりあえず一段落だ。

 

そこであらためて、各集落の状況について、話を聞いて回った(今年八月)。ある集団移転地は、元の集落からぐんと人口が減って、少数精鋭の再スタートに。そこに、隣の集落で残った世帯数軒ほどが合流して、新たな自治会を成立させた。しかし、本格的な自治会活動はこれから、という。別のある集団移転地は、近隣の二つの集落から合流してできた。自治会は発足したが、自治会活動はやはりこれからのようだ。お祭りを一緒にやるのかどうかなど、まだまだ不透明なところが多い。

 

そんな中、小室(ふりがな/こむろ)集落の話が印象深い。小室集落は、集団移転の「優等生」で、早くから自主的に移転地を決め、地権者との交渉も自分たちで行った集落だ。その結果、国の防災集団移転促進事業について、県内最初の「大臣承認」を得た。それが震災の翌年二〇一二年三月。そのあと、国や自治体の手続きが大幅に遅れ、住民たちはやきもきしたが、結局、二〇一五年に高台移転が完成。被災地全体の中でもかなり早いほうだった。参加率も高い。

 

実のところ、集団移転に参加して地元に残る人の割合は、地域によってずいぶん違う。あらためて計算してみると、同じ北上地区でも、ある集落は結局一〇%以下の残存率(これでは集団移転はできないので、近隣の集落と合流して移転することになる)、ある集落は九〇%の世帯が参加、と大きな開きがある。小室はかなり高い方で八〇%の残存率。その理由はどこにあるのか。

 

区長の佐藤林穣(ふりがな/しげあき)さん(七四歳、漁業)はこう言う。

 

「ここはね、けっこう漁業後継者がいるのです」。なぜでしょうか、と聞くと、「ここは漁業でも共同作業をするんです。たとえばよその家で仕事が遅れていると、手伝ったりね。小さな船を引き揚げるときはお互い手伝うという習慣もあります。情報交換しあったり、いいところを真似しあったりして、それで漁業の実績がよいのです。

 

後継者が漁業を継いでいくときに、そういうことは大きいのです。定置網などはひとりでできないですからね。そういうまとまりがいいのが、集団移転のときのまとまりにもなったし、後継者が大きいことにもつながっていると思います」

 

たしかに小室集落の団結力の強さは、復興初期に私たちが集団移転のお手伝いをしていたときも目立っていた。そこにはこういう背景があったのか。

 

地域の「強さ」とか持続性とかいったものをどう測ればよいか、はなかなか難しい。しかし、集団高台移転に成功した小室集落の例は、示唆するものが大きい、と思う。