【74】済州島 四・三事件

三月、初めて済州島を訪れた。

 

済州島には、島出身の旧知の女性、Mさん(元北海道大学大学院生)が住んでいて、ユニークな活動をつづけているので、一度訪れたいと思っていた。彼女は、島のおばあちゃんたちの聞き書きを進めている。韓国のテレビ局KBSのローカル番組で、おばあちゃんを訪問して話を聞く番組ももっている。おばあちゃんたちから学び、社会を組み替えようとする彼女独自の活動だ。

 

済州島を訪れる前に彼女とスカイプでいろいろ話していると、おばあちゃんたちの話に、四・三事件のことがよく出てくるよ、四・三事件を知らないと済州島のことはわからないよ、と言われ、僕はあわてて勉強した。

 

まず手に取ったのは、詩人・金時鐘さんの『朝鮮と日本に生きる:済州島から猪飼野へ』(岩波新書、二〇一五年)。この本は、日本統治下の済州島で育ち、日本の文学や歌に傾倒する皇国少年だった金時鐘さんが、「解放」でとまどうところから記述が始まる。金さんは、その後、南朝鮮労働者党に入党して活動していたが、「四・三事件」を経験し、その弾圧の中で漁船で日本に逃げ、大阪で生きていく。近年の研究を踏まえた上で自分の体験を生々しくふりかえるその記述に、僕はたちまち引き込まれた。

 

四・三事件とは、済州島において、一九四八年四月三日に起きた南朝鮮労働者党による蜂起と、それにつづく、米軍・警察による大虐殺(とくに一九四八年一〇月からの半年間)の全体を指す名称。犠牲者の数は二・五~三万と推定されている。

 

韓国の民主化の中でようやく一九八〇年代から事件の解明が進み、現在、済州島にはいくつかの四・三事件記念館もできている。その一つ、北村里ノブンスンイ四・三記念館を訪れたが、そこは、わずか二日間で三〇〇人余りが虐殺された場所だった。僕は、ただただこの事件の大きさ、残虐さの前に圧倒されるだけで、何をどう考えていいかわからなかった。

 

済州島は現在、第二空港建設問題に揺れている。今ある空港に加え、島の東部に新しい空港を建設しようという計画だ。Mさんに連れられ、反対派の住民たちの会合に出た。会合の場所は、空港予定者の反対派地権者の家。参加者の多くは、島の別の場所で海軍基地反対の運動を担った人たちでもある。会合は、小さな集まりだった。状況は大変厳しいが、朗読と音楽の和やかな会だった。

 

四・三事件のわかりやすい解説本(PDF):済州四・三平和財団『済州四・三事件の理解』(http://bit.ly/2ElEDkP)