ブログ:シアトル市民活動視察

2010年

10月

29日

シアトル市民活動視察 第1日目 

シアトル視察1日目。あちこちでまちづくりの活動を視察した。まずは、Farestartというホームレス職業訓練の社会的企業。これまで3,500人に職業訓練を施してきた。レストランとケータリングを経営していて、それが職業訓練の場。人気のあるレストランで、昼時はたいへん混んでいた。「私たちは多くのレストランと関係を持っているので、訓練を卒業した人たちには職の斡旋もします。卒業生たちとはできるかぎりコンタクトを続けます」と職員のローレン・ヤングさん。→http://www.farestart.org/


次に、荒廃した町を立て直したColumbia City地区を視察。ここでは、さまざまな地域再生が町のあちこちで行われた。中心商店街では、定期的にミーティングを開いてアイデアを出し合い、そこからエスニック音楽を軸にした商店街の再生など、ユニークなアイデアを実現させていった。非行に走りがちな少年たちに職業訓練を与える自転車修理屋もできた。


同じColumbia City地区のある住民たちは、開発されそうになった森を買い取り自然公園として再生させた(http://www.seattle.gov/hittshill/)。その中心は、私たちを案内してくれているシアトル在住の芸術家ベリズ・ブラザーさん。ベリズさんは、シアトル内で、パブリック・アートのワークショップなども数多く手がけている。芸術とコミュニティの関係が重視されている。


シアトルのこうした動きは、元地域オーガナイザーでシアトル市近隣局の局長を勤めたJim DiersさんのNeighbor Powerという本に詳しい(http://www.neighborpower.org/)。


2010年

10月

30日

シアトル市民活動視察 第2日目

シアトル視察2日目。午前中はSeattle Tilth(http://seattletilth.org/)という農業についての市民教育に取り組むNPOを訪問。カトリック教会が運営していた歴史的建造物の中に、NPOや各種民間業者が入っていて、その一角にこのNPOもある。建物の周辺を実験的な畑にしていて、子供から大人までの農業にかかわる多彩な教育に取り組んでいる。1回の講座や連続講座、ワークショップを年間を通じて繰り広げている。フルタイムのスタッフは16名という大きなNPOである。その財源の多くは講座収入だという。1974年、「小さな地球のための農業」というタイトルのシンポジウムをきっかけにSeattle Tilthは生まれた。(その歴史や活動内容はhttp://seattletilth.org/に詳しい)


ワシントン大学近くのFarmer’s Marketを訪問。毎週土曜日に開かれるという。Seattle中のどこの地域でもこうしたFarmer’s Marketが開かれている。野菜、果物、加工食品(パン、ジャム、蜂蜜など)加え、花もあり、音楽演奏もあり、楽しめる。


午後は、南シアトル地域のSustainable South Seattle(http://columbiacitizens.net/sss:welcome)という、こちらは小さな手弁当のグループを訪問。事務所も持っていないので、喫茶店でインタビュー。6人の中心メンバー(それぞれ専門分野をもつ)で運営しているこの小さなグループは、低炭素で持続可能な地域を作っていくための啓発的なワークショップを開きつつ、今後事業としても自転車の共有、環境に優しい商品を扱う店の開設、地域の有機農産物が得られるための農園の開設などを計画している。さらに公共交通のことにも取り組もうとしている。南シアトル地域は、シアトルの中でも多文化な地域で言語的にも多様性をもっており、ワークショップなどの宣伝もできるかぎりいくつかの言葉(ベトナム語、カンボジア語、中国語、フィリピノ語など。ソマリアの言葉も)に訳すという。こういう地域の小さなグループがシアトル中に数十あって、それらが集まってSCALLOPS(Sustainable Communities ALL Over Puget Sound[プージット湾持続可能な地域たち])(http://scallops.ning.com/)を形成している。このSCALLOP全体でNPO法人格をとり、各グループが動きやすくする予定だという。

2010年

11月

01日

シアトル市民活動視察3日目および4日目(まとめて)

 

3日目(10/31)と4日目(11/1)は、シアトルでP-Patchと呼ばれるコミュニティ・ガーデンを訪れた。


Belltown P-Patch(http://www.seattle.gov/neighborhoods/p-patch-community-gardening/p-patch-list/belltown)は、シアトルの中心街の中にある。周りはオフィスやアパートメントが建ち並ぶ。港がすぐ。この地に緑が欲しかった住民たちが市に働きかけ、1993年、残った空き地を市が購入。住民たちは、Neighborhood Matching Fundを受けて、ここをP-Patchにする。


町中だけに、小さなP-Patchだ(0.21エーカー)。一人ひとりの区画も小さいが、それぞれ、花を植えたり、野菜を植えたり、ハーブを植えたりしている。コンポストなどは共用。また、貧しい人たちに食料を供給するための畑もあり、ここでは"Giving Garden"と呼んでいる。ガーデン参加者はここに集まり、パーティも開く。


全体のコーディネートをしているクリス・ゴーリーさん。「今の参加者は38人。みんな役割があるの。Giving Gardenに責任を持つ人、コンポストに責任を持つ人など。年間35ドルを払えば誰でも参加できます。私は、全体のコーディネートだから、そうね、だいたい毎日来ていますよ」。


すぐそばに3つの古い家がある。昔港湾労働者が使っていたものだ。現在1つがP-Patchのグループ用に使われている。これも市のMatching Fundを使って整備した。あとの2つは、市の事業で"artist in residence"として芸術家が住んでいる。そういえば、このP-Patch全体がアートに満ちている。畑の形もおもしろいし、周りの塀には絵が施されている。


そんなところだから、散歩に訪れる人も多い。私たちが訪れた短い間にも、何組もの人びとが散歩に来ていた。


(参考→ Glenn MacGilvra, “Belltown P-Patch and Cottage Park” in _Making Their Own Plans_


対照的に、南シアトルにあるBradner Gardens Park(http://www.bradnergardenspark.org/)は、住宅街の中にある、大きなP-Patchだ(1.6エーカー)。ここはもともと公園だったものだが、市がそれを民間に売ろうとしているのを住民たちが働きかけて阻止したものだ。住民たちは、単に公園として残しただけでなく、それを、やはり市のMatching Fundを使ってP-Patchにした。各自の畑だけでなく、子供用の畑、実験用の畑、それに、装飾用の珍しい植物など、多彩なガーデンである。実験的な部分や教育的な部分は、2日目に訪れたSeattle Tilthと連携しているようだ。


こちらのP-Patchも、アートに満ちている。水道管には、絵が施されている。ベンチもちょっと飾りを施している。オハイオ州の農家からネットで(!)購入した風車も置かれている。アートなかかしも堂々と立っている。太陽光発電パネルも設置されている。ところどこにベンチも置かれていて、歩いていて楽しい。


シアトルのP-Patchは、地域の人たちが集まる場となっていて、コミュニティ醸成の核になっている。


ところで、Matching Fund(http://www.cityofseattle.net/neighborhoods/nmf/)とは、日本語にすれば「まちづくり基金」。住民グループが地域のために行うさまざまな活動に柔軟にお金を与える制度で、シアトルで1989年に始まり、現在年間2億円くらいが市の予算から使われている。これまで回ってきたグループの人は、どの人もこのMatching Fundの恩恵に受けていて、この制度のあるシアトルを誇りにしていた。


P-Patchはシアトル中に73あり、全部で2056家族が参加している。その一つ一つが個性的だという。

2010年

11月

02日

シアトル市民活動視察5日目

■Department of Neighborhood:コミュニティ活動の下支え


シアトル市のDepartment of Neighborhoodを訪れ、Project ManagerのLaurie AmesさんにおもにMatching Fundの運用についていろいろ聞いた。「多くの住民がMatching Fundにアプライするように促していますし、アプライのときにはいろいろサジェストします。他の部局との協力も重要です。いろいろな文化的背景の人が住民にいるので、なるべく多様な人びとにMatching Fundのことについて伝えようとしていますが、そこはなかなか難しいです。ただ、スタッフにはカンボジア語やベトナム語ができる者がいます」。


(参考)

(P-Patch ProgramのEvaluation→)http://www.seattle.gov/neighborhoods/ppatch/documents/PPatchEvaluation2009.pdf

(Matching FundのEvaluation→)http://www.seattle.gov/neighborhoods/documents/NMFEvaluationFINAL.pdf


■Artspace Hiawatha Lofts:芸術家たちの安宿


Downtownから少し南に車で走ったところに、Artspace Hiawatha Loftsというビルがある。お金のないアーティストたちに安く住居を提供している建物だ。61部屋ある。


そのうちの2つの部屋に入れてもらった。部屋というより、ビルの1室。やたら天井が高く、中は住居というより仕事部屋。彼らは仕事部屋と居住を一緒にしている。


訪れた男性の部屋の中は、がらくた的なさまざまな小物であふれていて、どこからが彼の作品でどこからがコレクションなのかよくわからない。彼はこのArtspace Hiawatha Loftsの中の風通しをよくしようとして「いつもドアを開けている。誰でも入れるように」と言う。


Resident ManagerのJenna Abtsさん(彼女自身アーティスト)。「希望者が多く、1~2年待たなければここには入れない状態です。入居に当たっては、私の他、何人かの住居人が面接をします」


→Artspace Hiawatha Lofts:http://www.artspace.org/properties/hiawatha/http://aptfinder.org/property627.html


■Jackson Place Co-housing:コハウジングの実践


Artspace Hiawatha Loftsから道を挟んだ反対側に、ところでJackson Place Co-housingがある。住人のKathy Sellarsさん。「法律的にはマンション(condominium)です。マンションの法律に則ってやっていますが、違うのは、徹底した合意形成のプロセスです。長い時間をかけて議論をして決めてきました。co-housingは農村部にはよくありますが、都市部のco-housingはここだけです」。


27軒のco-housingである。各unitおよびコモンスペースはつながっている。日本で言うとタウンハウスのような形。マンションと同じく各家族は各unitを所有していて、共有部分を共同所有している。各家の玄関が向き合う方になっていて、真ん中には美しい庭が広がっている。また小さな自然スペースも敷地内にあり、ツリーハウスもある。家の大きさは様々で、平均は3ベッドルームで1400スクエア・フィート(約140m2)。コモン・スペースとして、共同キッチン、ダイニング・ホール、共同ランドリー、倉庫、子供の遊び部屋、事務室、会議室がある。会議室には、子供たちのそれぞれの家族の成長の様子を示す集合写真が掲げられている。「週3回みんなで食事をしています。なるべく住人に多様性(diversity)が出るようにと思っているのですが、難しいです。私たちの多くは中程度の収入の家族です」。co-housingの思想に基づき、一緒に住む、コミュニティを形成するということを重視しているようだ。外の共同スペースも美しく、こんなところに住みたいと思わせるco-housingだった。


→Jackson Place Co-housing:http://www.seattlecohousing.org/、(The Seattle Timesの記事)http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=20011021&slug=homecohousing210


■The Duwamish Longhouse:先住民族


先住民族の話がなかなか出てこないなあ、と思っていたら、さすがBelizさんのアレンジしてくれた予定にはちゃんと入っていた。The Duwamish Longhouse(http://www.duwamishtribe.org/longhouse.html)は、Duwamish川の河口近くにある大きな木造の建物。杉で建築されたこの建物には、床に伝統的な模様が施されていたり、伝統的なカヌーが展示されてあったり。また、Duwamish tribeの歴史が描かれたパネルや伝統工芸(ガマを使って編んだものなど)も展示されている。Duwamishの人びとの活動拠点でもあり、教育(ちょうど午前中にはワシントン大学の大学院生たちが来ていたという)および商業的にもいろいろ使っている(結婚式の会場にも)らしい。


Duwamish tribeは、今のSeattleおよび周辺のエリアにいたこの地域の先住民族。The Duwamish Longhouseは、もともとDuwamish tribeのhah-AH-poosという村があったところに近く、また、このあたりで西洋人が最初に入ってきたところにも近い、という。そもそも「Seattle」の名前はDuwamish tribeのChief Seattle (Si’ahl)から来ている。


Duwamish tribeの歴史や現状について、まだ全部は飲み込めていないが、1855年米国政府との間にtreatyを結んだものの、それは入植者たちによってすぐに破られたということらしい。「土木工事が川や水に変化をもたらし、それがDuwamishの生活を苦境に追い込みました」。その後Duwamishの人びとははホップ農園で働いたりしていた。現在、「米国では先住民族の権利は1970年代に進展しまたが、それは先住民族として認められた民族のみで、認められていない民族は苦境に立たされています。クリントン政権のときに私たちも認められそうになったのですが、ブッシュ政権でひっくり返され、現在裁判で認めるよう係争中です」。


Duwamishを含むこの北西部(カナダ側も含む)の先住民族(共通する文化を持っているようだ)の間で、カヌー文化の復活の試みなどもあるという。売ってあった教育用の図書_The People of Cascadia_は、このあたりの先住民族の文化と歴史についてわかりやすくかつ詳しく描いている。


→Duwamish tribeのホームページ:http://www.duwamishtribe.org/(歴史や現状について詳しく書かれている)

→Lia Steakley Dicker, 2009, “The Tribe That Would Not Die”, Seattle Metropolitan (こちらも歴史や現状について詳しい)

2010年

11月

03日

シアトル市民活動視察6日目

シアトル視察の6日目。


■Picardo Farm Patch


閑静な住宅街の中にあるPicardo Farm Patchは、たいへん広い。このPicardo Farmこそ、シアトルのP-Patch(コミュニティ・ガーデンのこと)の始まりで、1973年から37年の歴史をもつ。P-Patchの「P」は、ここの土地をもともともっていたPicardoさんの名前から来ている。現在200軒以上が参加しているという。参加者は、年間8時間以上全体のために労働力を供出しなければならない。


平日だが、何人かが畑仕事をしていた。あるおばあさんに話を聞いたら、その人は初期からのメンバーで、「レタス、ブロッコリー、トマト、豆、パクチョイなどいろいろ植えているわよ。週1~2回通っているわね。フードバンクへの寄付が私の主な目的」。シアトルのほとんどのP-Patchはフードバンクと協力しているが、このPicarod Farm Patchもフードバンクへ食べ物を供出している。


■STG(Seattle Theatre Group)


シアトルの町中にあるParamount Theatre。Paramount Theatreは、1928年に作られた歴史的建造物。この歴史的建造物を管理し、また、そこでの公演を興行するのが非営利団体のSTG(Seattle Theatre Group)。STGで教育・パフォーマンスプログラム担当ディレクターをしているVicky Leeさんは、STGが単に管理・興業団体ではなく、コミュニティとの関係を重視していると強調した。公演するアーティストと地域の人びとを結んだり、さまざまなバックグランドをもつ13~22歳の青年を毎年150人集めダンス教室やワークショップを開く、などなど多くの教育プログラムを組んでいる。


2010年

11月

04日

シアトル市民活動視察7日目(最終日)

シアトル視察の7日目(最終日)。


■El Centro de la Raza


El Centro de la Razaを訪れる。


El Centro de la Razaというのは、「すべての民族の人びとのためのセンター(英語では、The Center for People of All Races)の意味で、主にヒスパニックの人たちのためのさまざまなサービスを提供している。今日は、月に一回このセンターの公開日で、職員によるセンター内ツアーが提供されているのに参加させてもらった。ちょうどメキシコなどで行われている「死者の日」祭りが館内でも行われていて、このセンターのリーダーでつい2ヶ月ほど前に亡くなったRoberto Maestas氏を始め、さまざまな人がまつられていた。


ホームページに"El Centro de la Raza is a voice and a hub for Seattle and Martin Luther King, Jr."とあるように、このセンターはもともと運動から出発している。センターの建物もともと古い学校だったが、それが使われなくなった1972年、活動家たちが平和的に占拠したことに始まる。Belizさんがあとで語ってくれたところによると、当時は先住民族を含む各民族、アフリカ系の活動リーダーたちがお互いに助け合っているときで、その中でも、すぐれたリーダーのいたグループがこうした占拠に占領した。それは1960年代からの学生運動、ベトナム反戦の流れを汲んでいた。


この占拠はのちにシアトル市長によって公式に認められ、El Centro de la Razaの活動もさらに進展した。現在El Centro de la Razaは多くの寄付、ボランティアに支えられ、連邦政府や州政府、市当局からもお金を引き出し(財政全体の中での比率は現在50%)、保育、進学支援、青年教育、住宅購入支援など、ヒスパニックを中心とする低所得者層向けのさまざまなサービスを行っている。雑然とした雰囲気、住民への多彩なサービス、社会運動との関連など、発展途上国のNGOに似た雰囲気を感じた。


■Department of Neighborhoodの元ディレクターJim Diersさん


そもそも私たちがシアトルに関心をもったのは、Department of Neighborhoodの元ディレクターJim Diersが書いたNeighbor Power(http://www.neighborpower.org/)という本だった。もともとコミュニティ・オーガナイザーだったJim Diersさんが1988年、当時の市長によってDepartment of Neighborhoodの初代ディレクターに任命され、その後Matching Fundという革新的な方法を導入し、ボトムアップのまちづくりを主導した。


そのJim Diersさんと、シアトル市内にあるワシントン大学で話をする機会を得、また、彼が大学生たちに行った特別講義を聞くことができた。


Jim Diersさんに聞きたかったことはいくつかあった。もともとシアトルは、先のEl Centro de la Razaを始め、社会運動が盛んだった。それとMatching Fund導入後とは何かが変わったのか。Jimさんは「そう。もともと盛んだった。しかしMatching Fundの導入で、reactiveな活動からproactiveな活動になり、さらにより多くの住民が活動に参加するようになった。さらに新しいグループも生まれ、何より、ボトムアップの活動が主流になった」。2001年にJimさんが当時当選した新しい市長によって解任されてから、何か変わったか。「Matching Fundなどの制度はそのままだが、一部の制度がなくなり、本当のボトムアップでなくなった側面がある」。


■ベリズ・ブラザーさん


今回の私たち(埼玉大学の藤林泰さんと宮内)のシアトル視察は、ほぼすべてシアトル在住のビジュアル・アーティストであるベリズ・ブラザーさんのアレンジによった。日本で言うと全共闘世代に当たるベリズ・ブラザーさんは、社会的な関心も強く、自身の仕事であるアートの世界でもコミュニティとの関係を重視したワークショップを開くなど、多彩な活動をしている。私たちは、この1週間、ベリズさんとの議論を楽しんだ。訪問先では、ベリズさんもインタビューに積極的に参加してきた。


彼女がこの1週間アレンジしてくれたのは、貧困対策、環境、マイノリティ支援など、多岐に亘った。コミュニティ活動という言葉で安易に想像されるようなものよりも、むしろ社会問題と格闘するグループが中心だった。「シアトルで現在盛んなコミュニティ活動はシアトルの社会運動の歴史とつながっていますか?」という質問にベリズさんは「そうあってほしい」と答えてくれた。60歳になる彼女の最近の関心は「agingのコンセプトを変えること。サービスを受ける高齢者ではなく、社会的な活動をする高齢者のモデルをこれから作っていきたい」と。